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(ちがう。

我が家には3人の子どもがいる。
どの子も同じように平等に育ててきたつもりだ。
けれど、皆違う。
そんなことは、当たり前、今更何を言っているのか。
それぞれの個性があり、違うにきまっているやんか。
だが、実際それを本当に私はわかっていたのか。

それぞれ違っていて当たり前と思っているならば、こんなことは思わなかっただろう。

「おにいちゃんは、こうだったのに、なんでこの子はこんなことするのか」
「同じように、分け隔てなく育てているのに、なんでこんなにも違うのか」と。

「同じように・・・」

私について言えば、それは私の思い込みだったと気がついた。
私は、まったく同じようには育てていない。
いや、同じ状況なんてないのにそんなこと最初から、無理な話だ。
形上、同じような感じで育てていたかもしれないが、想いも状態もまったく同じはないのだ。

違う。

相手も、自分もその瞬間、その場ですべて違うのだ。

どの子も平等に育てる。
これは、どの子も同じように育てることではない。
同じようにはできない。
同じにすることが平等ではないのだ。


どんな状態、状況であろうと、それは子どもが創り出しているわけではない。
その状態、状況を感じているのは、親である自分なのだ。
子どもは、実に素直に正直に、親の状態、状況を映してくれるものだ。

違うことを受け入れていないとき、違う状態、状況がいつまでも続くことになる。
親は子どもとのかかわりの中で、気がつくことが多いのだ。

これは、子どもも同じ。

すべての係わりの中で、それぞれが必要なことを見たり、聴いたりできるのだ。

それぞれが違うのが当たり前。
違うことをお互いが受け入れたときに初めて同じ世界を見れる、聴けることになる。

親は、子が違うことを受け入れて、初めて子どもの世界を見るし聴けるのだ。

それが、同じ立場になると言うことや。






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テーマ : 出来事
ジャンル : 学校・教育

tag : 違う 平等 同じ

コメントの投稿

Secre

Re: こんばんは

違っていても一致できる。
違うことを皆がお互い受け入れて、お互いの見ている世界を理解しあうことが少しずつできるのですね。
ほんと、違って当たり前なんですね。
違いを自分が認めることからですね。

こんばんは

おっしゃる通りだと思います。
同じようにしているつもりでも、
その時の自分の年齢も子育ての経験値もすでに違いますからね。
そんなふうに考えていったら、きっと全然違う子育てをしてきたのかもしれません。
おっしゃること、頷きながらお聞きしました。
Dプロフィール

 林 一美

Author: 林 一美
 昭和35年4月生 東京都出身
 大阪育ち 京都在住

幼稚園、小学校講師、塾経営をやってきました。
なにをしても、どこにいても、私の世界は、私の世界。

おかしいと思ったことは、おかしい。
変なことは、変や。

誰が何と言おうと、私は私のみちをいきる。
それが私にできる。ただひとつのことや。

実は誰も何も言っていない。
すべては、私が言ってることやんか。

私はあんた、あんたは私。

さかさま。おしゃかさま。
かみもほとけも。みな、おんなじ。

まっさかさまの、だいどんでんがえし。

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