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(えがいたえ。

私が以前に描いていた絵と今の絵は、まったく違っている。

私が描いていた絵は、私が今まで見たことのある景色であったり、教えられてきたことを常識、当たり前として描いていたものだった。

たとえば、子どもは学校に行き、学ぶ。
私は、その子どもの成長だけを楽しみに、日々過ごし、子どものすることに一喜一憂する。
子どもは、義務教育はもちろんのこと、高校、大学に行き、仕事に就いて、結婚し家庭を作る。

私が通ってきた道、私が教えられてきたことを私は子どもに描いていただけだった。

私の描いていた絵の中心は、私ではなかった。
私の絵でありながら、いつも私がいない。
このとき、子どもと私は、一体化していたから。

私のことイコール子どものこと。
子どもは、私の思うとおりに描ける存在だと思っていた。
子どもを巧みにコントロールしている。

子どものことをいつも考えているいい母のつもりなのだろうが、実は子どもを自分の思うように描きたかっただけだったのだ。

私が描きたい絵を子どもに伝えるのは、自由にできるが、それを子どもが選ぶかどうかは子どもに任されていることだ。
親だからと言って、強制はできないのだ。

けれど、私がそうだったように、多くの親は子どもに強制している。
自分が描いたようにならないと、子どもを責めている。
「何で、親のいうことが聞けないの」
「あなたのことを思って言ってるのよ」
などと、自分の描いた絵になるように洗脳しているのだ。

子どもであっても、親が勝手に描くことはできない。
子どもは子どもの描く絵がある。

一人一人描く絵は、違うのだ。

それは、誰にでも自由に選ぶことができることだ。

そして、描いた絵は何度でも描きなおしができるのだ。

ただ、描きなおしは、自分の絵だけだ。

自分以外の人の絵には、手出しはできない。

それは、親子と言えども、例外ではない。

描きなおし、付け足しは自由自在。

自分の人生の絵は、いつでも自由に描けるのだ。




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テーマ : 教育
ジャンル : 学校・教育

tag : 描いた絵

コメントの投稿

Secre

Re: こんばんは

お互いが自分の絵だけを描いていく。

それぞれがまったく違うものを描いているように見えて、それが一つのものに自然となるものですね。


こんばんは

まったくその通りだと思います。
子どもには自分で自分の絵を描かせればいいし、
自分も我が子をいつまでも描かないで、
自分の本当に描きたいものを見つけて描けばいいんですよね。
きっとそうすれば自分の絵を描く親を見て、
子どもも自分の絵を描き出すかもしれません。

うちの長男は私が思ってもみない絵を描き始めました。
Dプロフィール

 林 一美

Author: 林 一美
 昭和35年4月生 東京都出身
 大阪育ち 京都在住

幼稚園、小学校講師、塾経営をやってきました。
なにをしても、どこにいても、私の世界は、私の世界。

おかしいと思ったことは、おかしい。
変なことは、変や。

誰が何と言おうと、私は私のみちをいきる。
それが私にできる。ただひとつのことや。

実は誰も何も言っていない。
すべては、私が言ってることやんか。

私はあんた、あんたは私。

さかさま。おしゃかさま。
かみもほとけも。みな、おんなじ。

まっさかさまの、だいどんでんがえし。

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