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(れいのひと。

「これをしたのは、誰や」
「あいつだよ、れいのひと」
「れいのひとって、あいつのことか」
「そうだよ、あいつだよ」

「れいのひと」っていうのは、誰のことや。
例、霊、零(0)のひと。
イメージ、思い、感覚でお互いがわかっている「れいのひと」
思った、イメージしたその瞬間で「れいのひと」とつながっている。

「れいのひと」は、実体があるときもあるが、実体のないときもある。
それを「ゆうれい」と言って怖がることではない。
オカルトの世界の話でもない。

私なら、私が幼いころに亡くなった母親がいつも私の傍にいると感じている。
身近な存在だった人が、「れいのひと」になって傍にいて、助けてくれたり、守ってくれたりしていると感じているのは、私だけではない。

私には今は見えないけれど、母親はいつも傍にいると感じている。
ということは、私以外の人にも、いつも「れいのひと」がいることを感じている。
だから、実体のない「れいのひと」は、実体のある私たちと同じぐらい存在していることになるのだ。

実体のある私の見えている世界と同じように、色んなひとがいるのだ。
気の弱いひと、強いひと、甘えているひと、助けて欲しいひと・・・・。

実体がないだけで、決してラクにいるわけではない。
反対に実体のないぶん、苦しんでいるかもしれない。
実体が欲しいと思っているひとは、実体のあるひとにのりうつってくるときもあるのだ。

それは、私が困っているときに助けを求めたり、甘えたりするのと同じことなのだ。
私が、して欲しいことを頼んだり、言いたいことを言ったりする相手を選ぶときに、私の欲求に答えてくれそうな人を捜すのと同じように、「れいのひと」も同じなのだ。
実体のないぶん、思いが強い、欲求も強い、だから、「れいのひと」は実体のある私が、油断をすると直ぐに遣われてしまうことになるのだ。

だから、つかれるのだ。

自分をちゃんと持っていないと、「れいのひと」に遣われてしまうことになる。
実体のある「れいのひと」と実体のない「れいのひと」どちらにも遣われることになる。
自分が自分の思いに素直、正直にやっていないとき、みごとについてくることになる。
「れいのひと」が悪いわけではない。

「れいのひと」は、自分の思いそのものを表現しているだけだ。
すべての「れいのひと」は、自分がすべて創りだしているのだ。


「れいのひと」は、いつもどこにでもいる。
私も「れいのひと」のひとりなのだ。
特別なことでは、ないのだ。
「ありふれたれい」である。




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テーマ : 出来事
ジャンル : 学校・教育

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Dプロフィール

 林 一美

Author: 林 一美
 昭和35年4月生 東京都出身
 大阪育ち 京都在住

幼稚園、小学校講師、塾経営をやってきました。
なにをしても、どこにいても、私の世界は、私の世界。

おかしいと思ったことは、おかしい。
変なことは、変や。

誰が何と言おうと、私は私のみちをいきる。
それが私にできる。ただひとつのことや。

実は誰も何も言っていない。
すべては、私が言ってることやんか。

私はあんた、あんたは私。

さかさま。おしゃかさま。
かみもほとけも。みな、おんなじ。

まっさかさまの、だいどんでんがえし。

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