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(しゅんかん。

「こっちの方が、色々ついてるから、得やで」
「もう少し待ったら、もっといいのが出てくるで」
「今しなくても、後でやったらいいことやろ」

・・・・などなど。。。

子どもに私がよく言ってたこと。

でも、子どもは、全く聞かなかったな。

子どもは「今、これが欲しいのだ」
子どもは「今、これがしたいのだ」

私の言っているのは、子どものことはお構いなしの「私の都合」だ。
子どものことを考えて言っているのではない。

だから、子どもはそんな私の心を見透かして、「がん」として私の言うことなど聞かない。
これこそ、当たり前だ。

今、こうしたい自分の正直な素直な気持ちを子どもは貫いているだけなのだ。

それは、今この瞬間のこと。

後はどうなるかは、またその時考えればいいことなのだ。

子どものころは、損得、善悪、苦楽なんて関係なかった。

今今今、この瞬間があるだけだったな。

そのころがよかったと少しでも思うなら、自分でそのころに戻ってみることだと私は思う。

子どもは、わがまま、自分勝手、後先考えない、待ったなし・・・・いっぱい、いっぱい子どもを形容する言葉がある。

これは、すべて当たり前なことやん。

「わがまま」・・・自分の思うままにせずに、誰の思うままにするというのか。
「自分勝手」・・・自分が勝手にせずに、誰の勝手をすればいいのだ。
「後先考えてない」・・・後と先考えていたら、前に進まれへんで。
「待ったなし」・・・いつまで待っていたらいいのやら。

これは、自分だけではない。

すべての人が同じにできること。
だから、一切、誰にも文句は言えない。

選んだ責任は、すべて自分にあるということだ。

また、選びなおしも自分に任されているのだ。

親である私は、こうもよく子どもに言っていた。
「だから、言ったじゃないの、お母さんの言うこと聞かないから、失敗したんや」

う~ん、何と言うことを言っていたのか・・・。。。

こんなことを言われ続けたら、私のような大人になっていくのが当然だな。

それを大人になる、分別がつくようになるといっている。

分別付けすぎて、何がなんだかわからんようになっている。



わかるのは、今この瞬間の自分のことだけだ。
それを見ずに、何ができるというのか。

そして、それは生まれながらに持っていること。

だから、子どもにできるんだな。






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テーマ : 生涯教育
ジャンル : 学校・教育

tag : 瞬間 わがまま 自分勝手 待ったなし 後先考えない

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Secre

ヘットマンさんへ

子どもを信用できないということは、実は自分を信用できていないんですね。
自分を信じることができないから、何をするにも不安、心配がつきまとっている。
「できたら、信じる」「わかったらやる」から「信じたらできる」「やったら、わかる」にチェンジですね。

いちみさん、こんにちは。

このようなことは、私が不良と呼ばれていたころは、皆気づいていました。

一生一度きり!!

と、後先考えずに、山篭りしたり、学校さぼって旅したり、友達と格闘訓練と題して、自分達で空手の練習したりしたものです。

それが、やはり、大人になるにつれて、飯を食うためにやらねばならないことも多く、自由に生きる勇気を失ってきています。

大人の方が弱いのかもしれません。

>選んだ責任は、すべて自分にあるということだ。

自主性というのを謳っている人も多いですが、時間割や偏差値、主要科目がある中で、自主性なんぞ言っているのはおかしいですね。

歴史に残す絵画を残したい子供がいたら、その主要科目は美術になるのがとうぜんではないでしょうか。

しかし、目指していたからといって、それが達成できるかは分らない、

自由な生き方は本当に本当に本当に甘くないですから...

自由に生きようとしたことの無い人にはこのことは決して分かりません。

そして、自由に生きたことによる危険は常に大きく存在します。

なぜなら、人間は

欲しい、成りたいと思う自由は簡単に持てますが、

いざ、実行と実現となると、多くの困難に苛まれるからです。

>選んだ責任は、すべて自分にあるということだ。

実はこれは子供にとっては辛いことですが、子供が自分らしい人生を選んでいく、アイデンティティを創造して行くためには非常に有効なことです。

学校の科目、行く行かないも自由にして、その代わり、結果は自分で責任を取る。

もちろん、数学を学校でなく自力で勉強しても良いじゃないですか。

そういう、思いが皆の自由を保障していくのでしょう。

>だから、子どもにできるんだな。

子供にその自由を与えず、
また、それを享受することの困難と、危険を教えず、

豊かな社会は来ないものと思います。

子供を信用していない大人たちの教育理論には癖癖します。

今日も応援ポチ!!
Dプロフィール

 林 一美

Author: 林 一美
 昭和35年4月生 東京都出身
 大阪育ち 京都在住

幼稚園、小学校講師、塾経営をやってきました。
なにをしても、どこにいても、私の世界は、私の世界。

おかしいと思ったことは、おかしい。
変なことは、変や。

誰が何と言おうと、私は私のみちをいきる。
それが私にできる。ただひとつのことや。

実は誰も何も言っていない。
すべては、私が言ってることやんか。

私はあんた、あんたは私。

さかさま。おしゃかさま。
かみもほとけも。みな、おんなじ。

まっさかさまの、だいどんでんがえし。

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