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(責める。

私を育ててくれた叔母は、8年前に病院で亡くなりました。

叔母は、初期の肺がんが見つかり、がんを取り除く手術をしました。

私は、70歳と言う年齢のことも考えて
「手術はしなくてもいいのではないか」
がんがなくなったとしても、手術による叔母の体への負担を考えると後のケアのほうが不安でした。

叔母は、肺がんが見つかった時点で、生活に支障があったわけではなかった。
太りすぎのために腰と膝が痛くて、歩いたりするのが少し不自由なぐらいで、食欲もあるし、身の回りの自分の事は自分でできていた。
何も問題は、なかった。

私は術後、「今と同じ生活ができるとはかぎらないことを叔母に告げて、何も無理して手術することはない」と言いました。

でも結局、叔母は自分で手術することを選びました。

叔母の手術は成功して、がんは一応完全にとれたようでした。
が、術後傷口が化膿してしまいました。
今思うと、院内感染だったようですが、その時点ではなんともいえませんでした。

化膿が治らず、傷口がふさがらず叔母は見る見る衰弱して自分で呼吸できなくなってしまいました。
自発呼吸できないので、のどを切開して機械によって呼吸をなんとかさせてもらっている状態となりました。
なんとか、意識がもどり、傷口も薬が効いて治りつつありました。

そんな時、叔母が危篤状態になったとの連絡があり、驚いて病院にいくと、2,3日前に会話はできないものの笑顔が出ていた叔母の意識がなく、植物状態になっていたのです。

それは、早朝に気管につけていた管がつまり、呼吸困難になり心肺停止状態になったのでした。
なんとか、一命は取りとめましたがおそらく意識は戻らないだろうとのことでした。

私は、なぜそんなことになったのかを病院に聞きました。
病院は、気管が詰まっていたことに気がつかず、手当てが遅れたことを認めました。

それから叔母は2年余り、この病院で意識が戻る事なく亡くなりました。


「私は、なんでこんなことになったのだ。」
「病院は、医者は、何をしていたのだ。」
「手術がうまくいってるのに、病院の衛生管理や看護ミスのために叔母がこんな目に遭ったのだ。」

私は、自分の思っている疑問を病院にぶつけ、なぜこういうことになったかを問い詰めました。
このとき、私には怒りがありました。
病院や医者に向けた怒りです。

「病院の責任だ」とも思っていました。

けれど、同時に私は自分のことも責めていました。

「あの時、手術をするのをなんでもっと強くとめなかったのか、完全看護だからといってなんで病院任せにしてしまったのか・・・・。」

次々に「自分が悪かったのでは・・・こうしておけばよかったのでは・・・・」という思いが出てきました。それと同じように、病院への責任追及の思いも強くなり、私の心身は疲れきっていました。

そんな時、病室で看護婦さんや先生が意識のない叔母に話しかけながら、とても優しく、普通に接しているのを見たのでした・・・。

私は「いったい何やってんだか・・・」と力が抜けました。

私は叔母のためと言いながら、病院の責任追及にばかり目がいき叔母のことなどそっちのけだったのでした。

私は、「私がもっと親身に叔母のことに関わっていたならこんなことにならなかったのではないか。」という、罪悪感がありました。
それがあることを知っていて、わかっていて、それをなんとかかき消そうと病院や医者に怒りをぶつけていたのでした。

すべてがそうだったとは思わない。
けれど、自分にそういう気持ちがあったのは事実でした。


私の怒りは、叔母のためだけでは、なかったのでした。

私は、私がしたことが間違っていたかもしれないという罪悪感が責任追及へのエネルギーになっていたのでした。

私は、病院を責めるのと同じだけのエネルギーで自分を責めていたのだ。
だから、苦しかった。
その苦しみを病院や医者に向けていたのでした。
けれど、それをし続ければ続けるほど自分が苦しくなっていたのです。

私は、何か出来事が起こったときに何か、誰かに責任追求したり、悪モノさがしをし続けるというなは、実の所自分を苦しめているのではないのかと思う。

私がそれに気がついてから、病院との話しあいは変わった。

言い出せば、きりがない。
「・・・たら、れば」の後悔ばかりがでてきたが、私はそれをすべて受け入れ病院との話し合いをしました。
病院は過失を素直に認め、今後の看護も続行するという結論を出しました。

そして最後まで、叔母は手厚い看護を受けて、意識回復はなかったけれど、とても穏やかに過ごせたのでした。



私と病院との話し合いは、最初から何もかわらない内容だった。

ただ、私が自分を責めている、罪悪感をもっているということに気がついてからの話し合いは、私自身の素直な正直な気持ちを病院側に伝えたことによって、病院側もなにも隠すことなく、真実を言ってくれたと思うのです。

私は、叔母がどうしてこのような状態のなったのかを知りたかっただけだった。
そしてこれからどうすれば一番叔母にとっていいのかを病院と話し合えばよかっただけだったのです。

それが、結果的には、病院も叔母も私もすべてが満足いくことになったのでした。

何か悪いと自分が思う出来事が起こったとしても、それは本当の所、悪い良いということがない。

誰かを責めたり、悪者にするのは、自分自身を責め、悪かったのかも知れないという罪悪感の裏返しのように思うのだ。

相手を責めたり、責任追及する心を持ち続けていると言う事は、自分を責め続けることになり、自分の苦しみを増やすことになると思うのだ。

そこからは、何も始まらないし終わりもしない、堂々巡りがつづくだけなのだ。

抜け出すには、まず自分が自分を責めるのを止めてみることだ。

人を責めてるつもりが実は自分を責めている。
責めることもないし、責められる事もないのが真実なのだ。




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テーマ : 出来事
ジャンル : 学校・教育

tag : 叔母 院内感染 気管 肺がん 病院 切開 自発呼吸 手術

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Secre

知っている。

自分で避けているのがわかっているということは、自分がわかっている、知っているということなんですよね。
人を責めたり、人に責められていると思っているのは、他の誰でもない自分自身なんですよね。

避けたものは、ぐるっと回って戻ってくる。
自分が苦しい原因は自分にあるということですね。自分でしていることは、自分しか変える事ができないのですね。

すごくよくわかります。
本当は自分を責める気持ちがあって
だけど自分でそれを否定したくて
自分以外に矛先を向けてしまう。
よくあることです。自分でも気付いていない。
それに気づいて自分を受け入れた時何かが変わる。
私も自分に目をそむけたくないと思います
Dプロフィール

 林 一美

Author: 林 一美
 昭和35年4月生 東京都出身
 大阪育ち 京都在住

幼稚園、小学校講師、塾経営をやってきました。
なにをしても、どこにいても、私の世界は、私の世界。

おかしいと思ったことは、おかしい。
変なことは、変や。

誰が何と言おうと、私は私のみちをいきる。
それが私にできる。ただひとつのことや。

実は誰も何も言っていない。
すべては、私が言ってることやんか。

私はあんた、あんたは私。

さかさま。おしゃかさま。
かみもほとけも。みな、おんなじ。

まっさかさまの、だいどんでんがえし。

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