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(じぶんじしん。

1月、いつの間にか、いっちゃった。

2月、睨んだら、にげってた。

3月、桜咲いたら、さっていった。

4月、知らん間に皆、よってきた。

5月、いよいよ、始まる、ゴーゴーゴー。

なーんてね。

世の中、実に騒がしい。

裸になっただけで、捕まり、家中捜索されたり、咳をしたり、熱っぽいだけで隔離されている。

安全、安心、平和な国、日本は今どこにある。

安全、安心、平和を守るため、悪と戦うんや。

ウイルスの侵入を防ぎ、滅亡させるために戦い抜くぞ。

何か起これば、すぐさま対策をたてる。

そんでもって、対策をこうじれば高じるほど、事態は悪化している。

何を防いでいるのか。
何を今まで防げたのか。

避ければ、裂けるほど、事態は悪化しているんやで。

一つのものをあ~でもない、こ~でもないと裂いてきたから、今の結果を膿んでいるんやな。

何もしないこと。
何も避けないこと。

すべて、受け入れていくことだけしか、今を生きれない。
すべて、自分が創り出している。
すべて、自分がしていること。

すべては、自分のこと。

逃げること、避けることは誰にもできない。

自分自身のことやから。

怖れることは何もない。






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テーマ : 生涯教育
ジャンル : 学校・教育

tag : ウイルス 安心 安全 平和

(ゆるせない。

あんなことして、許せない。
あれは、許せないことや。

許せない。

それは、一体誰が何を許せないのか。

被害を受けたから。

自分が傷ついた。
家族が傷つけられた。

何も悪くないのに、何で私が、子どもがこんな目に遭わなくちゃいけないのか。

気持ちはわかる。
自分が同じ立場になったら、同じように許せないというかもしれない。
だが、同じ立場ではないので、同じ気持ちには決してなれない。

でも、許せないとずっと想いつづけることが、自分にとって本当にし続けたいことなのか。

誰かを、何かを許せないと言っているけれど、実は一番許せないのは、自分のことなんじゃないか。
そうした、そうされた自分が許せない。
自分を責めている。
相手を攻めているつもりが、自分を責めているんや。

被害を受けた、許せないと想い続けていることは、自分を責めつづけていることになっている。

許せないという想いは、自分を攻撃していることになる。

許せない想いを持ち続けている限り、ラクにはなれない。

自分を許してまず、ラクになったらいいのにな。




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tag : 許せない 攻撃

(ひろう。

世の中、ゴールデンウイークらしい。
いつもとなんとなく違う感じがする。

違う感じがするけれど、私には関係ないな。

皆、休暇、休みなのになぜか疲れている。
疲労感が増しているな。

毎日の仕事は休みなのに、なぜか皆、あわただしく、騒がしいな。

皆が同じように休みをとり、同じようなところに出かけていく。

行く場所が違っただけで、疲れる、疲労している。

日ごろの疲れを癒すために、ストレス解消のためにあちこちに出かけ、また疲労して帰っていく。

いつもと違う形のことをしただけのこと。
何も変わっていない。
形を変えて、疲労しただけのこと。

疲労は、他の形に披露しても、何も見えない、見ていない。

自分をちゃんと披露、素直、正直になって、初めて疲労が取れる。
疲労がみえるんだな。




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テーマ : 出来事
ジャンル : 学校・教育

tag : ゴールデンウイーク 疲労 披露 京都

(はらとあたま。

腹をくくる。
腹をすえる。

腹で考える。

頭で考えると分離する。
頭でっかち、休むに限るか。

頭には、右脳と左脳があるから。
お互いが主張し合い戦っている。
統一できない。

どっちが正しいのかを判断しようとしている。
正しい、間違っているではなく、自分がどう感じ、どう想っているかだ。
自分の素直、正直な感覚は、頭、脳で誤魔化せても、胸、腹では誤魔化せないのだ。

胸騒ぎがする、胸が苦しい。
胸つまりは、心臓、心、腹、自分の真ん中が苦しいのだ。

頭でっかちに考えても何も生まれてこない。

私らは、腹に宿り、腹でものを考えている。
それを、頭で脳で考えているから、何一つ統合できないでいる。

天でバラバラ。

胎で、一つになる。






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テーマ : 教育
ジャンル : 学校・教育

tag :

(こどもはてんさい、あたりまえ。

自分に子どもができた時、自分の子はもしかしたら、天才かもしれない。
類まれな才能があるのではないか。
などと、考えていたな。

だから、小さい頃から子どもに水泳、英語、絵画、サッカー、ピアノ・・・・ありとあらゆることに挑戦させて、可能性を親として見落とさないようにと必死だった。


自分の成しえなかった夢を子どもに勝手に託し、期待する。
子どもには、無限の可能性があるから、その可能性を引き出すために親として、できる限り協力していかなければ。
子どもはそんな親の気持ちを察して、いやな顔ひとつせずに、付き合ってくれていた。
子どもは、何でもわかっているんやな。

そう、確かに子どもは、皆天才。
そんなの当たり前、常識さ。
それぞれがそれぞれの才能を無限に持って生まれてきている。

が、しかし・・・・それを親、大人が台無しにしている。

親、大人が、自分のものさしで勝手にはかり、「これはすごい、類まれな才能だ、天才だ」などと言い、親、大人の枠にはめ込んでいるのだ。
枠にはまり込んだ親、大人が何を、子どもに手出し、口出ししているんだか。

親、大人が子どもの才能、可能性に気がついたときから、子どもの才能、可能性をとめているのだ。
自分の子に、他の子と違う才能、可能性を見つけたとき、親、大人はそれを親、大人の今まで経験、体験してきたいいと思われる方法で何とか、その才能、可能性を伸ばそうと要らぬお節介をやく。
それが、親心か。
それが、教育か。

全く、逆さま。

親、大人は、子どもがワクワクしてやろうとしていることをできるだけ、黙って見ているだけでいい。
何もたさない、ひかないことがいい。


昔の天才といわれている人達は、その時代には誰も注目されていない。
親も周りの大人も特別な扱いをしていない。

今は、早くから天才、才能があると言って、手を加えすぎている。

手を加えないからこそ、無限の可能性がでてくるのだ。
自然は、無限なのだ。


子どもは皆天才だ。
それぞれに、すごい才能、可能性をもっている。

一切、手を加える必要はない。
親、大人が自分のものさしで、推し測り、枠にはめ込まないことだな。

子どもの湧く沸くに手をかける必要はないな。





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テーマ : 教育って何だ?
ジャンル : 学校・教育

tag : 才能 可能性 無限

(だめだめこうげき。

子どもが産まれてきたときに思った。

産まれてきてくれただけで、ありがとう。
心身ともに元気でいてくれて、ありがとう。

ただ、私のもとにきてくれたことだけで、そのときは幸せだった。
それを忘れて、親は子どもにあれやこれやと、親と同じように生きることを要求し始める。
子どもは、日々自分で自分に必要なことを学んでいる。
なのに、親は要らぬお節介をやく。
親という権力を使い出す。

子どもに次々、要求する。
この世の中で生き抜いていくための、親心という呪縛をかける。
次々、親の常識、世の中の規則、ルールを教え込む。

「あかん、あかん」
「だめだめ」
「したらあかん」
「やったらあかん」
「そんなん、してたら人に迷惑かける」
「そんな、悪い子は家の子じゃない」

などど、子どもに「だめだめ攻撃」を開始する。

子どものころ、それがとても窮屈でいやだった。
にも、係わらず、自分も親になったら自分の親と同じことを繰り返している。
なぜだ、自分がいやだったことを自分は自分の大切な子に、やり続けている。
何も考えてない、何も感じない。
自分も自分の親の「だめだめ攻撃」にやられてしまっているのだ。

連鎖反応。
これで、ほんまにいいのんかな。


したらあかん、だめだめ。
こんなこと、誰にもわからへんやろ。
なんで、あかんの。
なんで、だめなん。

私は、わからない。
私は、わからんことを自分が自分にも、自分の子にも言い続けていたんやね。

そんなこと、考えたこともなかった。
ただ、皆が言っている、やっていることやから。

そんな、想い込みで自分が動いている、
何も考えずにいることができるから。
自分がらくできる。
自分がそれを選んでいるということ。

何にも自分で考えることも、判断することもないからな。
責任とらんで済むからな。

でも、それは実は自分を苦しめているんやな。
身体に表れる。
病になったり、ストレスになったりと。

自分にわかるように、表れているんやな。

だめか、だめでないかはそのとき、そのときによって違う。
同じ条件、状態はない。
だから、同じ形に見えてもそれは、全くちがうものかもしれない。
それを常識、当たり前、規則、ルールとひとくくりには、できない。

ルール、規則、常識、当たり前は、いつも変化しているんやな。

子どもには、ルールも規則も常識も当たり前もない。
必要ない。

そう、すべてあるから、ないのだ。

子どもに余計なことを教えたら、だめだめ・・。。。。






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テーマ : 教育って何だ?
ジャンル : 学校・教育

tag : 常識 当たり前 子ども 余計

(ひかく。

毎朝の職場の朝礼。
会社理念と朝の挨拶を連呼する。

そして、昨日の売り上げを読み上げる。
目標達成できた、できてない。

比較、昨日よりも売り上げが増えているか、いないか。
売り上げの確認のために毎朝集まっている。

店長さんは、毎日大変です。
店長さん、毎日休まず朝早くから出勤しています。
店長さんは、超超過勤務です。
一応週2日の休みの日は、朝10時ぐらいには帰っていますが、日増しに疲れが溜まっている感じがわかります。
店長さん、赤字の店を自分の力で、やり方で黒字にしようと必死なのです。
遊びも仕事大好きという店長さん。
仕事で溜まったストレスは、少ない休日に、目一杯遊んで発散しているという。
がんばっているんです、店長さんは。
店長さん、初めて出勤してきた日は、髪の毛もディップで固めてきめていたのに、今では毎日ボサボサです。売り場に出たときには、ひとり大きな声で皆を引っ張っていこうとしているのがわかる。

売り上げを増加させる。
赤字続きの店では、しかたないのか、毎朝、毎朝、売り上げに一喜一憂。
せっかく、一緒に働く人らが、顔を合わせるのに金の話ばかり。
形、金がついてこなきゃ、働く仲間もへったくれも、ないのかな。
結果がでなけりゃ、何も言えない。
皆、こんな働きかたで楽しいのかな。
ああ~しんど・・・。

何、言ってんだ。
働くのなんて楽しいもんじゃないやろ。
働くのが楽しいなんて、求めるほうがおかしいよ。
今のご時勢、働けているだけでもありがたいこと。
これが常識、当たり前か。


比較、いい、悪い。

比較、増えた、減った。

今はこれだけのことなのに、なぜ比較するのか。
比較なんて必要あるのか。

比較は、永遠に続く。
進歩、発展、向上のためという名目で、課せられ続く。

いつまでも、比較し続けられる。

いや、自分が比較されることを選んでいる。
自分の評価を比較によって確認しているんやな。
比較し、昨日より今日、今日より明日が上にいくように必死になる。
結果がでなきゃ、何もしていないのと同じか。
結局、自分が自分を比較して確認しているのだな。

比較は、自分がやめないといつまでも続けることになる。
比較し続ける限り、不安や心配、怖れはいつまでも自分についてまわることになる。

自分が選んでいることだから、自分で今すぐやめることができるのにな。

非核、私は核を持たない。

なにより、自分を比較するのはやめんとな。






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テーマ : 出来事
ジャンル : 学校・教育

tag : 比較 赤字 黒字 職場 朝礼 毎朝 非核 評価 自分 ご時勢

(かわる。

今、こう思う。
今、こうしたい。
今、これがやりたい。

今なのだ。

次の瞬間は、変わることもある。
変わってもいい。

変わらない、変えてはいけないことはない。

今しかない。

本当は、今しかないから、今しかないとも言わない。

やっている。
思った。
言った。
感じた。

次の瞬間はこうだ。

次の瞬間でもなく。
そのときには、それは今になっている。

過去のことを思っている今。
未来のことを考えている今。

それは、過去のことでも、未来のことでもない。

後悔も、心配も不安も無用のもの。

ない現実を自分で創っているだけのこと。

馬鹿げている。
あほらしい。

何が起きるか、起こるかわからないこと、わからなかったことを後悔、心配、不安になっているなんて。

すべて、自分が創っている。
創りなおしは、今すぐできるんやな。




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テーマ : 子育て・教育
ジャンル : 学校・教育

tag : 過去 未来

(すなお。

素直に正直に生きる。

子どもは、いいよな~。
好きなこと言えて、好きなことできて・・・。
子どものときは、先の不安や心配なんてしなくて良かったな~。

じゃあ、何で今は、そうできないんだろう。

そりゃあ、そうでしょ。
自分のやりたいように、言いたいように言っていたらあかんやろ。
けんかになるやろ。
先に進まへんやろ。

なんで、そうなるの~?

皆、自分に素直に正直に生きたい。
と、思っている。
皆が思っていることができない。
そしたら、今の状況は何?

皆が思ってもいない状況になっているってことやね。

誰もが、嘘、誤魔化しを強制し合っているってこと。

それが世の中の仕組み。
常識、当たり前。

お互いがお互いの足を踏んでいる。
足の引っ張り合いか。

人の足を踏み、自分の首を絞めている。

動けないよな、苦しいよな。

当たり前だな。

子どもころのように、ぴょんぴょん撥ねて生きたいよな。
自分が苦しいなら、自分で放さないとね。

自分がやっていることに、自分が気づけば、皆が気づくことになるんやな。





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テーマ : 出来事
ジャンル : 学校・教育

tag : 素直 正直

(せいちょう。

久しぶりに次男と出かけた。
次男は、出かけることがほとんどない。
京都に来て、5月で一年になるが、出歩くことはほとんどない。
たまに、自分の欲しいお菓子や飲み物をコンビにに買いに行くぐらいだ。
世間でよく言う、「引きこもり」か。

いや、別に引きこもっているわけではなく、今出る必要がないだけなのだ。
まあ、同年代は、皆学校に行っているだけだ。
中学3年だからね。

先日、新しい担任の先生が私の留守中に来たらしく、そのときの話では、次男は卒業後は、アルバイトをして、調理師の学校に行くと言ったらしい。
自分のことを自分で話している次男、親が知らん間に成長しているもんだな。

成長は、一人一人違う。
次男の成長は、大多数の中学3年生とは大きく違っているかもしれない。
同学年のこと接することがほとんどないので、不安、心配・・・・?と思われるかもしれないが・・・。

いや、学校に行っていても本当のところ会話していないのではないか。
ただ、学校に行き、同じ年の子といるだけかもしれない。
どういう風に係わっているかは、その本人でないとわからないな。

次男は、ここ半年ぐらいで変化している。
外には行かないが、家の中で他の家族との係わりによって、変わってきている。

ゲームを一日中やってはいるが、自分から他の家族に話すようになっている。

特に私には、色んなことを言ってくる。
それが、私の状態を鋭く突いていることが多い。

彼には、決して誤魔化しがきかない。

私が育った、成長した状態とは違っているが、彼は彼なりに確実に成長している。




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テーマ : 生涯教育
ジャンル : 学校・教育

tag : 成長

(まちがい。

誰にでも間違いはある。
誰でも間違うことがある。

これは誰でも知っている、分かっていること。
つまりは、これは常識、当たり前。

いつ、誰が、どこで、間違ったり、勘違いするかなんて、誰にもわからないこと。

けれど、間違い、勘違いが起こったときには、必ず言う。

「誰の、どこの責任だ。
こんなことが二度と起こらないための対策が必要だ。」

責任を追及して、落ち着くところを求め続けている。

みんな知っていたはず、分かっていたはずだ。
間違いは、誰にでもある。

子どもにもよく言う。
「間違ってもいいんだよ。
やってみて、言ってみて間違っているとわかったら、自分がなおせばいいだけ」と。

けれど、今の世の中の状態を見ていると、間違うことを怖れる、逃れるために、次の間違いを膿んでいる。

間違いがあれば、それを認め、なおしていけばいいだけのこと。
それを責めることも、責められることもない。

自分が責めたり、責められていることをやめない限り、この間違い探しゲームは終わらない。

ゲームを始めたのが自分なのだから、ゲームを終わらせるのも自分でしかないな。

もう、ゲームオーバーだな。





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テーマ : 出来事
ジャンル : 学校・教育

tag : 間違い ゲームオーバー

(しょうじき。

ここ二、三日、京都は暖かいを通り越して、暑い日が続いています。
街の「聞く屋」で、北風ピープー吹き荒れて「寒い、寒い」と言っていたのが遠い昔に感じています。

今日も暑く、炎天下に2時間座っているとかなり体力を消耗します。

そんなこんなで、「聞く屋」から帰宅した。
とたんに、次男が「買い物いかへんの」と言ってきた。

思いこみとは、怖いもので次男は、私に買い物に行くのか、どうかを聞いただけなのに、その時の私には、「買い物いかなあかんやろ、なんで行かないの」と聞こえているのだ。

この時、私の正直な気持ちには、「疲れた、しんどい。もう買い物いくのはいやだな。やめとこか。でもな、いるものあるしな・・・。」
そんなこんなを思っているところに、次男がストレートのたまを投げかけてきたから。
私は、慌てている。
私は、自分にイラついていた。
それを。隠す、誤魔化すために、次男に「うるさい、買い物いきたきゃ、自分でいけよ。私だって、しんどいんやから、あんたが行ってくれてもいいやんか」などと、支離滅裂な返答を、浴びせているのだった。

おかしいよな、変だよな。

自分の本心、正直な気持ち、想いを隠しておいて、相手に私の今の状況、想いを察しろと言っている。
自分がラクしたいがために、いやな想い、感覚を人に渡しているんだな。

次男は、冷静に言う。
「しんどかったら、今日は買い物やめといたら、あるもんで何か俺が作ったるし」

あーあ・・・どっちが親なんだか・・・。
すべて、お見通しなんだよね。

彼は、私の今の状態すべてを黙って受け取ってくれて、私の間違いを諭してくれている。
何も、そのことにふれずに、彼は私に素直に正直になれるようにしている。

自分の想い、感覚を誰かにわかってもらうのは、むずかしい。
いや、自分の想い、感覚は自分にしかわからないものだ。
が、しかし、少しでもお互いがお互いの想い、感覚をわかりたい、知りたいと思うなら、お互いがすべてをできるだけ素直に正直に話さないと何もわからない、知ることはできない。
そこに、わかってくれるだろう、常識だろう、当たり前だろうは、当てはまらない。

それは、自分がラクをするためにやっていること。
けれど、それは実は苦を増やしていることになっている。

想いはすべて通じている。
例外はない。




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テーマ : 教育って何だ?
ジャンル : 学校・教育

tag : 京都 聞く屋 暑い 次男

(できごと。

昨日の夕方、次男と買い物に行きました。

次男が私のサンダルの後をを引っかけてサンダルが破れてしまいました。
次男は、「しまった・・・。」という顔をしていました。
以前の私なら、次男をしかりつけておしまいにするだけでしたが今は、違います。

このことが起こったのは、なぜか?
次男とともに考えました。

私たちは、何か起こった時にその起こった出来事に対してどう考えるのでしょうか?

「サンダルが破れてしまったことは、悪い事だ。なんでこんな悪いことが起こったんだろうか?」
「それとも、何かもっと大きな災難を避けてくれたんだろうか?大難が小難になったんだ、ありがたいな!」

これって本当なんでしょうか?

サンダルが破れたことは、悪い出来事だったんでしょうか?出来事に善い、悪いがあるのでしょうか?
出来事は、ただ単に出来事であって、そこに善い、悪いを自分が勝手に価値判断しているだけです。

サンダルの件もただの出来事なのです。

出来事を価値判断するのではなく、なぜそのような出来事が起こったのかを考える教材にすればよいだけです。
そして、その時の自分の正直な気持ちに視点を向けることです。視点の変換です。

出来事は外にだけ起こっているのではありません。自分の内にも同じことが起こっているのです。
外も内も区別はないのです。すべて同じことが起こっています。


次男にサンダルを踏んだときがどういう気持ちだったのかを聞いてみました。
次男は、購入した物を早く袋に入れないといけないと思い焦っていたのです。だから、前を歩いていた私の動きが判らず、サンダルの後ろを踏むことになったようです。早く早くと焦っていたのです。

なぜ焦っていたのか?

小さい頃より次男は兄や姉に追いつきたい、遅れないようにといつも焦っていたのです。私がいつも早く早くと焦らせていたのです。私は、私の都合で次男にいつも早くするように強いてきたのです。
次男は、小さい頃より私から見れば失敗や私に世話をかける子でした。私にとって手のかかる子だったのです。私は、次男のすることにいつも早く早くとせかせていたのです。次男が焦っているのではありません。私が焦っていたのです。

私は、次男がよく失敗をするのは慌て者で、落ち着きがなく、思慮深くないためだと思っていました。実は、すべて私が次男にそうさせてきたのでした。
今回のサンダルの件で今までの次男の行動を理解することができたのです。
私が次男に焦るよう、急ぐように仕向けていたということです。
次男は、焦る必要は何もなかったのです。焦らなくても最初から彼のペースで出来ていたことを私が出来ないようにしていたということです。



私たちは、何かことが起こったとき○、×で価値判断をしています。

起こった出来事を○、×で価値判断しています。×と判断した事象には、なんとかそれが○に変わるような意味づけをしているのです。
×と思った出来事は、いつまでも×のまま残ります。意味づけを変えただけで×が消えるわけではありません。×が残ったまま、その中に○を上塗りしているだけなのです。

起こった出来事は、○でも×でもないただの出来事なのです。
出来事がなぜ起こったかを自分が考えればよいだけです。価値判断は、いりません。

出来事が起こった時の自分の正直な気持ちに視点を向ければよいだけです。

サンダルの件は、次男が以前から私に早く早くと言われてきたことが引き金となり起こった出来事だったのです。次男は、急いだり焦ったりする必要がないことに気がついたのです。私も次男を焦らせていたことに気がつきました。

私たちは、子どもとの関わりの中でいろんなことに気づくことができます。

「いちみの教室」では、視点を変えて子どもと向き合う親子対象の「おやこ屋」、先生対象の「せんせい屋」を開室しています。

今までと違った視点で子どもと向き合うことによって、悩んだり苦しんだり、問題視していることがすべて解消できます。

子どものことは、親であり先生である、あなた自身のことでもあるのです。
すべてひとつ、同じことです。





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テーマ : 生涯教育
ジャンル : 学校・教育

tag : 次男 サンダル 視点 × 夕方 買い物 せかす 早く

(おとなこども。

子どもと大人の違いは何だ。
誰が決めているのか。
法律上で18歳、20歳になれば、世の中の大人の枠入りになっているが・・・・。
どこでどう、境目が違いがあるんだか、私はわからない。

大人がいるから、子どもがいるのか、子どもがいるから、大人がいるのか。
どっちが、どっちなんだか。

親というネーミングがつく人にはもれなく、子どもというネーミングがついてくる。
子を産めば、大人が親というネーミングに変わる。

子どもと大人の境目はどこから、いつからなんだろうか。

大人だから、親だから、子どもだから、こうしとくべきだ。
大人として、親として、子どもとしての責任をちゃんと果たさなければならない。
大人だから、親だから、子どもだからと責任が違うのか。
皆、同じ責任がある。
自分のしたこと、出したことの責任は皆、同じにある。
ただ、自分の責任を少しでも軽減しようと大人、子どもの区別をつけて支配しやすいようにしているんだな。

子どもに大人は、言う。
「おとなしく、大人しくしなさい」と・・・・。
大人しく、大人らしくしなさいかな・・・。
大人と言うネーミングになれば、子どもを支配できるのか。

親は、大人しくすることを子どもに強制している。
大人らしく、大人、親の都合のよいように振舞うことを、強く望んでいるのだ。

いつの世も、この連鎖反応が続いている。
誰もが子どもの頃、「大人しく」というのがとても窮屈で、いやだったであろうことを、延々と受け継いでいる。
そして、大人、親は子どもの自由奔放な行動をうらやましく思っているのだ。
子どものように自分の想いに素直に正直に生きていたいと思っている。

でも、だって・・・自分はもう大人、親だから子どものようにはできない、してはいけないと自分で枠に入っている。
誰からも強制されていない、自分がそれを選んでいるのだ。
大人も親も子どもも、境目、違いなどない。
子どものような大人、大人のような子ども、親のような子ども、子どものような親もすべてありなのだ。

それを、一つの固定観念で決め付けてしまっているのは、誰でもない自分自身なんだな。
親だから、大人だから、子どもだからという枠ない。
ただ、ネーミングとして、大人、子ども、親というのが存在するだけだ。

大人しい大人のときもあるし、大人しい子どものときもあるし、子どもらしい子どものときもあるし、子どもらしい大人のときもある。
自分で自ら、窮屈な枠に入ることはないのだ。

大人になったら、親になったらこうしなくちゃいけない、こういわなくちゃいけない。
~しなければ、~でなければならない・・・と思い込み、自分を枠にはめ込んでいる。
それが、いやだ、したくないと思うなら、自分がその連鎖をとめることだ。

自分がいやだな、おかしいなと思うことは、しない、やらない。
それが、自分を自由にできる一歩になるんだな。




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tag : 大人 子ども

(いがく。

先日の風邪を引き受けたときもそうだったが、私は産まれてからお医者さんに行ったり、薬を飲んだりすることがあまり好きではなかった。
好きではないというより、医者と薬とは縁がなかったのだ。

私は、6歳まで戸籍がなかったので、産院から出てからは、保険なるものがなかった。
貧しい私の家では、医者には容易にかかれなかったから。
母は、私が熱を出したり、痛みがあるときは、いつも傍にいて、見守ってくれていた。
母が手を握っていてくれるだけで安らいだことを覚えている。
医者にも行かず、薬も飲まずに治っていた。
予防接種なども受けなかった。
何も困らなかった。

今もそれは同じだ。
医者にも行かないし、薬も飲まない。
病を引き受けたときは、ただひたすら、ジッとしている。
熱が出ても、痛みがあっても耐えることが、今の私にできる治癒方法だと思っていた。
それを他人は「我慢強い」といっていたが、私にとって一番早く治す方法だということがわかっていた。
けれど、そんな私でも、あまりの熱や痛みに不安、心配になり医者や薬に頼ったこともあるが、それをすると、かえって長引く経験を幾度もしてきた。
治りはするが、後がしんどい。
それを、私からすると薬の後遺症なのだ。
そして、再び同じ熱や痛みに襲われることになる。
無理ヤリ治したことには、無理があり、歪がくるのだ。
これは、当たり前、自然の摂理だ。

私の3人の子どももほとんど病院には行っていない。
最初の子の時は、不安もあり何度か救急で病院に駆け込んだこともあるが、病院の対処が通り一遍の診断であったこともあり、次第に病院には頼らなくなった。
私は、病院に行ったとしても、貰った薬をすべて飲ませることはしなかった。
私は、私がいつも子どもを見守って、様子を見ながら、その都度対処をしてきた。
それは、私が子どものことを一番知っている、分かっているから。
その能力をみな持っている。
子どもの状態を見極めることができる。

世間の親もそうだと思う。
産まれてからずっと見守ってきている、自分の子どものことを一番わかっている、知っているのは、いつも身近にいる母親や父親だと思うのだ。
子どもの異変に一番敏感なのだ。
何が子どもに起こっているのかは、医学の知識がなくても十分わかるのだ。
けれど、その感覚をどこかに置いて、医学や薬に頼り、自分で治す力を弱らせている気がする。
自分で治せる病もある、自然治癒力を持ち合わせているのだ。

これを、今忘れている。
医者や薬を重視している。
一人、一人それぞれが違う。
何人かの子どもがいる人はよくわかると思うが、同じ風邪だと思ってもその症状は違うし、対処の仕方も違うのだ。
それを通り一辺倒に同じ薬では治らない。
色んなやり方、選択があっていいと思う。

だからといって、医学や薬が必要ないと言っているのではない。

それぞれに、一番いい方法がある。
それは、ひとり一人違うのだ。
それを今一度考えてみたらどうか。

病気だと思われる症状がでたら、医者に行く。
これを当たり前、そうしないといけないと思い込んでいないだろうか。
医者に行けば治る、薬を飲めば治るとは限らない。
もしかしたら、医者に行かなくても、薬をのまなくても治っているかもしれない。
「病気イコール医者イコール薬を飲む」という選択をし続ける限り、どっちがいいのかわからない。
どちらの選択があってもいいのではないか。

昔から「病は、気から」という。
「気」と言うのは、「想い」である。
自分の「想い」も然り、他人の「想い」も然りである。

すべて「想い」によって「病」は引き起こされている。
「想い」は、医学でも薬でも治ることはない。
それを無理ヤリ治したとしても、完治はない。
だから、病が次々と引き起こされていくのだ。
「病」は、続くことになる。

「医学や薬が絶対的なものではないこと」を、私は私の体験から言えるのだ。






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テーマ : 生涯教育
ジャンル : 学校・教育

tag : 医者 医学

Dプロフィール

 林 一美

Author: 林 一美
 昭和35年4月生 東京都出身
 大阪育ち 京都在住

幼稚園、小学校講師、塾経営をやってきました。
なにをしても、どこにいても、私の世界は、私の世界。

おかしいと思ったことは、おかしい。
変なことは、変や。

誰が何と言おうと、私は私のみちをいきる。
それが私にできる。ただひとつのことや。

実は誰も何も言っていない。
すべては、私が言ってることやんか。

私はあんた、あんたは私。

さかさま。おしゃかさま。
かみもほとけも。みな、おんなじ。

まっさかさまの、だいどんでんがえし。

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