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(あんしん。

「親を心配させないで」
「親に心配させないことが、親孝行や」
「心配するのは、親のしごとやから」
「大きくなっても、いつまで経っても、親は子のことを心配するもんや」

親は子に、どうせえいうねんな。

親が勝手にやってることを子に強いている。

親は子に何を要求しているのか。



子は、親の都合で行動しなくてはいけないのか。

親を安心させるために、子は生きているのか。

心配も安心も親が勝手に創りだしていることなのだ。

子は、自分が思うようにやってみているだけだ。

子であったすべての人が同じなんや。


子がやったこと、したこと、言ったことを心配したり、安心したりと創っているのは、親のほうだ。

それを「心配させるな」といい、やめさせようとする。

子が「心配せんでもええ」というと、親は「心配するのがしごとやから」という。


挙げ句には「あんたが心配させるようなことばかりやらかすから、安心でけへん」と責任を押し付けてる。



私が親となって子にやってきたこと。



私が勝手に心配の種を創っといて、それを私が育て、花咲かせといて「こんな花咲かせたんは、あんたや。あんたが、ようけヒリョウをやったからや」と、インネンつけて、子を脅かしていたんやな。



誰も誰かを心配させたり、安心させたりはでけへん。

心配も安心もすべて、自分が創りだしているものやから。

自分が勝手に、心配したり安心したりしているだけや。

だから、それをやめるのは、自分にしかできない。

自分にはそれができるんや。


すべて、自分が創り出しているだけだ。






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テーマ : 出来事
ジャンル : 学校・教育

tag : 自分 心配 安心 親子 勝手

(あいて。

相手ある。

開いてある。

空いてある。

明いてある。

愛である。

Iである。

私である。




自分の前にいる相手は、自分の鏡、自分そのものの存在だ。

相手は、自分次第で、如何様にも変化する。

相手の変化は、自分の変化。

相手がいるから、気がつける。

相手がいるから、思い出せる。

相手は、自分そのもの。

だから、相手が言ったこと、やったこと、思ったことは、自分が言ったこと、やったこと、思ったことなんだ。

相手は、自分が開いて、明いて、空いていくために、あるのだ。

自分が自分を出さない、誤魔化し、偽っていると、相手は、自分をあいてするためにいつまでも、いつまでも、あの手、この手を使って、やり続けることになる。



自分は、自分をあいてにひとり相撲をしているだけだな。

もう、土俵際まできている。

知ってるよな、わかってるよな、覚悟しいや。

あんたのことやで。。

あいてなんておらん。

すべて自分、わたしのことや。



「あっ・・・いてて。。。」




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テーマ : 出来事
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tag : 相手 土俵際 空いて 開いて 明いて 家族

(ねがい。

世の中が平和で自由でみんなが幸せな天国を創りたい。

そうあることをみんな、願っているはず・・・・・。。。

なのに・・・。



平和を願いながら、争い。

自由を願いながら、責任転嫁。

天国を願いながら、地獄を創る。




すべては、逆さまに動いている。

それは、誰かがしているのではない。

すべては、自分が撒いたタネだ。



平和で自由な天国を創りたいなら、自分が平和で自由になることだ。

自分が争い、奪い合い、縛っていては、いつまで経っても、天国はやってこないな。



ねがいは、ひとつ。



天国は、いつも自分にある。

それを見ていない、創れないようにしているのは、自分なんだな。

外に、天国はないんだ。

すべて、自分にあることを思いだせばいいんだ。





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テーマ : 子育て・教育
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tag : 天国 願い 平和 自由

(たいむ。

私がいっているスーパーでは、働いている人が、いつもあわただしく、忙しくしている。

やたらと、「いらっしゃいませ」だの「ありがとうございます」の言葉が行き交っている。

何か、空虚に聞こえるのは私だけなんかな。

「うるさい、わかったよ、もうええよ」って思いながら買い物を、ソソクサと済ませている。

あわただしく、働いている人が時間に追われているように感じる。
あまり広くない店内を小走りで行き交っている。

ほとんどがパートやアルバイトの人で、時間給、分刻みで、できるだけたくさんの仕事量をこなすように指示されているようだ。

品物は、狭いスーパー内に盛り上げられ、お客様が欲しいと思っているものがお客様の目に留まり、購買意欲を掻き立てるように、手にとってもらえるように、一つでも多くのものを購入してもらえるように。

必死に、盛られている。


取りやすくとか、見やすくとかはあまり関係なくて、とにかく売れ筋、売り出し特価のものを積み上げているんやな。

かかっている音楽も人が多いときには、いっそうあわただしい曲になっている。

「あ~しんど」

たいむ。

もう、タイム・・・一休み、深呼吸。



乗せられ、はめられ、あれやこれや買うていては、何も安い買い物には、結局なってへんねんな。

のんびり、ゆったり、必要なもんを必要なときに買っていけばいいんちゃうのん。

それが、お互いみんなの時間とお金の節約になっているんやな。






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テーマ : 出来事
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tag : スーパー タイム 節約

(やっぱり。

「やっぱり、そうか」
「やっぱり、やめる」
「やっぱり、やってみる」

やっぱり、やっぱり、やっぱり・・・・。。。。

やっぱり、最初から決めていたんやな。

やっぱり、そうなることは、自分がわかっていたんやな。
やっぱり、そうしたいことは、自分が知っていたんやな。

自分でイメージしているものは、やっぱり形になるんやな。

どこかで、わかっているから「やっぱり」って言う言葉がでてきているんやな。

それを色んな言い訳をつけて、避けているんやな。

でも、やっぱりそうだったんやな。

自分が知っていること、わかっていることは、自分には誤魔化しでけへんな。

さっぱり
きっぱり
どっきり
やっぱり、そうや。






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テーマ : 教育
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tag : やっぱり さっぱり きっぱり どっきり

(すいーつ。

子どもが小さい頃、私は、甘いものの味を覚えさせてはいけない。
出来るだけ、甘味は、覚えさせないほうがいいという情報を信じて、子どもにお菓子を食べさせない時期があった。

その当時、甘味はよくない、必要ないと何を思って信じていたのか。

虫歯になる、甘味を覚えると他の味がわからなくなる・・・・。

等々・・・色んな理由があったように思うが、すべては、こういうふうになっては困る、恐れからその情報を私が勝手に信じて、子どもにそのような状況を強いていたのだ。

やはり、その時の私の印籠は、「子どものために」であったな。
けれど、子どものためにというのは、私の巧みな誤魔化しであった。

お菓子を規制し、虫歯のない子を育てるいい母、しつけのちゃんとできている母をやっていたかったのである。

子どもは、私のいうことを聞いて当時はお菓子を食べない生活をやっていたが、よその家にいったときには、むさぼりお菓子を食べていたように思う。

結局、どこかで不自然に規制、強いることをしていると必ず反動がきているんだな。

私が、甘味を規制していて、いつも子どもには甘い顔を見せなかったのには、自分の甘さを子どもに悟られるのを避けていた、逃げていただけだったんだと思う。

すいーつ、甘い言葉、情報に、ひたっていたのは、私だったんだな。





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テーマ : 子育て・教育
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tag : すいーつ お菓子 規制

(ふう。

今日は2月22日。

「ふう、ふう、ふう」やな。

今、世の中「ふう、ふう、ふう」と大きなため息があっちでもこっちでも・・・・。

100年に一度の不況、きびしい、先の見えない世の中になってきているらしい。
不況不況と、布教してるんか。
「何教」や・・「不況今日」かいな。



何か、不況である、厳しい世の中であると、不安と心配をあおり、恐怖心を植え付けているだけではないのか。

確かに、仕事が減り、それに伴い、収入が減ってはいるが、それは今までと比べてのことで、それが困ったこと、不安なことにつながっているわけではない。

今までの状態が本当によかったのか。
仕事に追われ、自分で考える時間もなく過ごしていた日々。

「ふう、ふう」言ってたんちゃうんか。

もっと、もっと、たくさん、多く、どんどん発展、進歩するようにはたらく状態が本当によかったのか。

もう、もっと、たくさん、どんどん発展する必要がなくなっただけなのではないのか。

色んなものが機械化、合理化されているにも関わらず、もっと早く、急ぐ。
ラクをするために、作ったものは次々自分の首を絞めている道具になっているのだ。

モノが溢れている。
もう、いらんやろ。
もう、つくらんでええやろ。

仕事がない。
お金がない。

何にもない。

だから、何でも出来る可能性があるんじゃないんか。


今まではようけ、持ちすぎて「ふう、ふう」言っとただけやん。



今まで、考えなかったこと。

見てみぬフリしていたこと。

おかしいなと感じながら、後回しにしていたこと。


すべてを「自分ふう」に考えなおすときが来ているんやな。

いつまでも、周りの情報、周りの人に合わせて、「ふう、ふう」いってんと

今は、「自分ふう」を創るときなんだよな。

「ふ、ふ、ふ・・・」や。





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テーマ : 出来事
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tag : 不況 布教 今日

(ないものがない。

人は生まれてきたとき、死ぬとき、何も持っていない。

何にもない。

生と死との間に、いっぱい、色んなもんを持っていく。

最初から何も持っていない、何もない状態なのに、不自然に色んなもんをくっつけていく。

あの人が持ってるもん、あの人より多く、たくさん持つことがいいことだ。

持てば持つほど、増えれば増えるほど、身動き取れなくなっている。

人の間に、持ったもん、増えたもんは、死ぬときには、何にもなくなっている。

ないのが当たり前だ。

持つ必要がないことがわかっていながら、必要がないもんばかり持とうとしているんやな。

モノだけではない。

色んな思いをどんどん重くしているんやな。

何にもない状態こそ自然な状態なんだな。



何にもないのは、すべてあるのと同じ。

ないものがない。

だから、すべてあるのと同じやな。




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テーマ : 出来事
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tag : ない ある

(うず。

小学校のプールの授業のときに、水に慣れるためにみんなで、輪になり肩をもち同じ方向に回り、グルグルと歩くことをした覚えがある。

ぐるぐるとだんだん、水が渦になっていく。
止まろうと思っても止まれない。

だんだんとその渦の力が強くなり、止まっても水の渦は、なかなかおさまらなかった。

けれど、その渦の中にいた時、渦をつくっている時は、渦の強さがわからない。
みんなが同じようにしている、みんなでやっているから。

止まりたい、やめたいと思ってもなかなか、自分の思うようにはならない。

本当はやめたい、止まりたいと思っているんだけれど、抵抗できない。

勇気を振り絞って、止まってみると、渦の力に倒れそうになり、水に飲み込まれそうになる。

けれど、そこんところを、じっと、踏ん張っていると水の力はだんだん弱まってきて、自分の力で立てるようになったいく。

見ると、他の人も止まってじっとしていた。

そう、まず自分が止まれば、どんなに強い力の渦であって必ず止まるんだな。

自分が気がついたなら、どんなときも自分がその渦をとめることから、すべてが始まるんだな。

渦にはまっていて、しんどいなら一旦止まってみたらいい。

「うずしお」のしおどきは自分がきめたらいいんだな。



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テーマ : 教育
ジャンル : 学校・教育

tag : うずしお

(じたばた。

「じたばたするなよ、世紀末がくるぜ~」

なんていう歌を歌っていたのは、「シブガキ隊」とかいう三人組やったな。
やっくん、もっくん、ふっくん・・・。
今は、私と同じ50才前のおじさんで、テレビでは俳優や司会でまだ「じたばた」でているな。



「じたばた」するな、今さら「じたばた」したところで、何も変わらんよ。

そう思うのは、何かまだ自分にできること、やれることがあるのにやっていないからなのか。


今、自分にできること、やれること、思いつくこと、考えられることをやればいいだけだ。

今、できること、やれることをやって、今は待つ。

まだ、できること、やれることがあると今は「じたばた」する。

どちらの選択も自分が決めればいいだけだ。



「自他ばた」しているのは、自分が他人を意識して、人の反応を気にしてやっていることなら、いくら「じたばた」したところで自分の満足いく結果はやってこないな。


「あんたがこう言ったから、ああ言ったから」「自他はた」したのに・・・なんて「はたはた」迷惑な話だな。

他のはたあげて「じたばた」してるんか。


「じたばた」するなら、自分の旗をあげて「じたばた」せんとな。

世紀末はもう、きてるんやで。





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テーマ : 出来事
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tag : じたばた シブがき隊 世紀末

(くよくよ。

「あ~しとけばよかった、こ~しとけばよかった・・」

私は、こう見えても「がんこもんやけど、優柔不断やから」
後で、「くよくよ」悩み、不安になるんやな。
そう、後悔することがある。

済んでしまったことを、もっと他に方法がなかったか、思慮深く考えるべきだったんじゃないか・・・。

いつも、自分の選択に「だめだし」していた。



不安、心配、恐れの後ろには、自分が損しないよう、悪く思われないよう、みんなと同じよう、独りにならないよう・・・。

すべて、自分を守るために「くよくよ」考えている。
誰のためでもない、私のために「くよくよ」している。

私は、いつも人の目を気にしている。

「こう見えても」って、一体どう見えてるっていうのか・・・。

誰も私を見て、思っている、言ってることじゃない。

そう思っているのは、誰でもない、「私自身なのだ」

自分のしたこと、言ったことに「あ~でもない、こ~でもない」って講釈言ってるのは、自分なんや。

誰かが私にそうさせているわけではないんや。

自分が自分でやって、自分で講釈つけて、後悔しているだけやな。

「くよくよ」悩むこと、心配して不安になることは、「よくよく」考えてみたら、今は何もないんだな。

私のできることは、私の想いに素直になることだけやな。




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テーマ : 子育て・教育
ジャンル : 学校・教育

(はっきり。

「はっきりしてよ、どっちにするの?もう、まったくあんたは、何ぐずぐずしているの!」と

子どもたちに日々選択を迫っていた私だが、それは私自身がいつも自分に浴びせていた言葉、想いそのものだった。

私が「はっきり」とできない理由は、「どっちでもいい」のと、「どっちを選べば損しないか」を考えていたから。


自分で「はっきり」決めるのが、怖かったから。
親や周りの意見を聞いて、「こっちにしたほうが良さそうだな」と決めていたことが多かったな。



そう「どっちでもいい」っていうのは、私の誤魔化しやな。

本当はどっちでもいいことなんかないんやな。

「どっちでもいいなら」ば、どっちを選んでもいいわけだから、どっちかを選べばいいだけや。
何もぐずぐず悩む必要はないんやな。



それを「はっきり」言えないのは、自分の考え「こっちだな」という想いがあるから。
迷う、「はっきり」できないだけやったんや。

損得、責任逃れを狙っているのは、明白やな。



どっちかを選ぶ必要のあるときは、自分に最初に出てきた想い、感覚に従うことを一つずつしていくことで、次の形が現れる。

どっちも選ばない、やらないという選択もある。

どうするかは、いつも自分に任されているんやな。

どんな選択をしたところで、損得はないし、責任逃れはできないんやな。

「はっきり」かたをつけれるのは、自分だけなんやな。







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テーマ : 教育
ジャンル : 学校・教育

tag : はっきり

(まえおき。

私って、性格わるいから。
私って、太っているから。
私って、馬鹿やから。

私って・・・・私って・・・。

だから何?

私のころには、10才ぐらいまではこんな「まえおき」を言って話すことはなかったな。
今は、全体に早くなり、5才ぐらいには、こんな「まえおき」をして話していたのを聞いたときには、驚いたな。

そう、大人の世界が子どもの世界にまで侵入している。

子どもであっても、お互い探りあいをしている。

「まえおき」をつける、本心はなんなんやろな。
本当に、「自分で性格悪い、太っている、馬鹿や」って思っるんやろか。

私は、そんな会話を聞くたびに、「そんなことないで」「大丈夫、普通やんか」・・・と必ず、相手を慰める言葉、それを否定する言葉を言っていたな。

「あ~あ、めんどくさいな・・そんなん私、知らんし、どっちでもいいやんか」って思っていながら。
私も結局、同じことしていたんやな。

それが、世の中でうまくやっていく方法やと思っていたからな。
でも、それって、その場はいいんやけど、一度そういう関係を築くと、だんだんしんどくなってきていたんやな。

楽、うまくやってるつもりが、自分の本心を誤魔化している分、しんどなって、相手とは疎遠になっていくんやな。


そう「まえおき」なんて、必要ないことなんや。

お互い面と向かって話しているところに、「まえおき」なんていらんな。

「まえおき」ではなく、自分のことを本当に分かってほしい、知ってほしいなら、自分の前に何かおいたら、お互いが観えへんな。

まえに何かをおくことで、相手と離れてしまい、はなされへんようになってるで。






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テーマ : 出来事
ジャンル : 学校・教育

tag : まえおき 疎遠

(ちょく。

私が50年弱、この世に生きてきて、一番永く付き合っているのは、自分以外はやはり家族だ。

とりわけ、子どもたちと母親という役回り上、かなり密接に付き合ってきていると思っているが、果たして私は、子どもたちの何を分かっているのか、知っているのか。

子どもが小さいころは、子どもは私の言う通り、思い通りにしてくれていたので、それをもって、私は子どものことを理解している、子どもには私の思いが伝わっていると思いこんでいた。

子どもに確かめることなんてしていない。
「暗黙の了解」というのか。
いつも一緒にいるから、分かってる、知っている、大丈夫だ。

勝手に親の思い込みで、子どものことをわかっているつもりになっているんだな。

そして、ある日「青天の霹靂」とでもいうのか、「反抗期」とくくられている時期に子どもが突入する。
そんなの突然でも何でもなくて、ただ、私が見ていなかった、分かったつもり、何でも知っているつもりになっていただけのことだったんだな。

私は「子どものことを何も分かっていなかった、知らなかった」ってショックを受けたが。
冷静に考えれば当たり前やんか。

親子であっても、「ちょく」で話さないと分からんし、知らんやろ。
私、子どもと真剣に、素直に正直に「ちょく」で、話したことなかったんやから、わからんやろ。

それを単に親やからわかっている、知っているって思いこんでいただけやったんやな。

こんなことしていたら、親も子もしんどいやろ。
お互い一番「素」でおれるところで、思い込み、知ったかぶり合戦をしているんやからな。

親子がもめるのが当たり前やな。

互角の揉め事ではない、各自が自分の土俵に上ったまま取り組んでいる。
このままでは、いつまで足っても、交わりもなんにもなしのままやな。
直接対話なしのままでは、何にも話されへんな。



親子、夫婦・・・人と人との関わりすべてに言える。
「ちょく」でお互い向き合い話さんと、本当のことはわからないんやで。

自分のことを相手に、素直に正直に直接伝える手段としてお互い共通の「言葉」があるんやから。
あるもんはちゃんと使いこなさな。

自分の観ているもん、聴いたもんは自分でしかわからない、知らない。
それをお互い、わかりたい、知りたいと思うなら、自分が確かめるしかないのだ。

その間に色んなもんをいれるから「人」は「人間」になって自然に逆らい生きてきてしまったのだ。
人間は、自然に逆らった生き方を進歩、発展といい、今に至っている。


そう、進歩、発展によって人間は「怠惰」になっていっているんやな・・・京都の舞鶴には「間人」とかいて「たいざ」というところがあるな・・・・。。。。
すべては、逆さまなんや。



人と人、間に何もいれることなく「ちょく」で話し合う、放し合う、離しあうことで、自分の観ているもん、聴いてるもんに、お互い初めて触れることができるのだ。

自分のことは自分にしか、はなされへんな。

親は子に話して欲しければ、まず親のほうが離さんとな。

まずは、親である自分が自分を話す、放す、離すことやな。






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テーマ : 子育て・教育
ジャンル : 学校・教育

tag : 素直 正直 ちょく 暗黙の了解 反抗期 土俵 互角

(ぐうぜん、ひつぜん。

「偶然に、こんなことが起こるわけがない。いや起こるべくして起こった、必然の出来事なんや」

一つの出来事が偶然にも必然にも変化、意味付けが違っている。
何でこんなことが起こっているんや。

意味を付けているのは、誰か。

それは、自分だ。
すべて、自分がやってることだ。

自分に起こったこと、唯の出来事に「あ~でもない、こ~でもない」と意味を付けて、自分で自分が納得するようにしているに過ぎない。

偶然と言っては、喜び。
必然といっては、驚き。

「これは、奇跡だ、ありえない出来事だ」っか。


自分の想い、感覚ではどうも、心もとない、自信がないから、人に聞いたり、神仏にお願いしたり、占いを参考にして、自分の想い、感覚でしっくりくる答えを求めているだけやな。

結局のところ、何が基準かというと自分の想い、感覚やんか。

じゃあ、最初から自分が持ってるもんで、すべて賄えるいうことやな。

それを自分以外の何かに求め探して「あの人、あの神仏、あの占いのおかげで助かった」
あれを信じて正解だった。

よかったときは、それでいいが「あれを信じた、あれに従って、よくない結果だったら、あの人、あの神仏、あの占いは、インチキだ、信じて、従ってえらいめにあった」と責任転嫁。


それもすべて必然やな。


そう、すべて自分に思いとおりになっていること。
偶然も必然もない。
まして奇跡なんてもんは、自分の都合で出てきたり、引っ込んだりするつわものなんやで。

なんか、意味付けして自分が損せんよう、得を納めるように振舞っているんやな。

自分に起こっている出来事も周りで起こっている出来事も、すべては自分のこと。
他人事なんてないのだ。

すべてつながっているんやな。

それを知っている、分かっているから、起こった出来事に色々意味付けして、逃げている、避けているだけやな。

いつまでも逃げること、避けることはできないんやで。

周り回って、必ず戻ってくるんや・・・「だって、地球はまあるいんだもん・・。」

ぐうぜん、ひつぜんではなく、毅然(きぜん)とたたんとあきまへんな。






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テーマ : 出来事
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tag : 必然 偶然 奇跡 毅然 神仏 占い 他人事

Dプロフィール

Author: 林 一美
 昭和35年4月生 東京都出身
 大阪育ち 京都在住

幼稚園、小学校講師、塾経営をやってきました。
なにをしても、どこにいても、私の世界は、私の世界。

おかしいと思ったことは、おかしい。
変なことは、変や。

誰が何と言おうと、私は私のみちをいきる。
それが私にできる。ただひとつのことや。

実は誰も何も言っていない。
すべては、私が言ってることやんか。

私はあんた、あんたは私。

さかさま。おしゃかさま。
かみもほとけも。みな、おんなじ。

まっさかさまの、だいどんでんがえし。

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