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(いまはむかし。

すること。

歯をみがく。
顔をあらう。
風呂にはいる。
その他・・・・。


今、当たり前にしていることが、昔は当たり前じゃ、なかった。
何でするようになったのか、何でそうしているのか、知っているのだろうか。

皆、言う。
「当たり前やから、常識やん」
誰が決めた、誰が言ったのかなんて関係ないんやね。

とにかくみんながやっていること、言っていることをみんなと同じようにやっとかないと、いけない、おかしいことだ。

ある日、突然。
「歯をみがくことは、害がある、健康にわるい。風呂も入ると皮膚にわるい、湯につかることは、体に悪い」なんていうことが、言われる日がくるかもしれない。

今の常識は、昔の非常識。
昔の常識は、今の非常識。

ドッチもありャ~なんァ~。。。。


いまはむかし。



当たり前、常識と言われた、思われていたことがいつ、どこで変わるかなんてわからない。

一つのことで、色んな視方、考え方があるものに、どっちが絶対に正しい、悪い、なんていえない。

「一体何を信じたらいいのか」わからない。

そう、何が本当で、何が正しくて、何が悪いかなんて、誰もわからないし、知らないのだ。

みんなが周りの様子を見ながら、自分が損しないように、一人ぼっちにならないように、調和という都合いい言葉を自分の都合いいように、みんなが使って、お互いを縛りあっているだけなんだな。

いまはむかし。

今も昔もありゃしねえって・・・。。

信じたあたいが、あほなだけ。

信じたのは、あんただ。

誰を信じようと同じこと。


自分を信じて、動くしかないんだな。

それが、「自信」だ。

自身の自信をもて。





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tag : いまはむかし 風呂 常識 当たり前

(すいみん。

私は、長い時間、眠ることをしない。

「しない」と言う言い方があっているか、どうか?

私がそう決めているわけではない。
寝ても短時間で起きてしまうから。

私みたいな人を最近「睡眠障害」とか言って、治療するらしい。

「眠れない」と悩むひとやら、「眠りが浅い」「何度も目が覚める」だの、「睡眠障害」にも色々種類があるらしい。
そういう風に、人と違う「睡眠」の形を、悩み、心配しているのだ。
「寝ない」といけないと思っている。
眠れないことが、いけないことと決めてかえって「眠れなく」なっている。


私は、生まれてから何万回、いや数え切れないくらい「睡眠」している。
私以外の人も同じだな。

一度として、同じ状態で「睡眠」していない気がする。
起きているときも全く同じときがないように、「睡眠」もいつも違う。

量も質も何もかも違っている。

私は、寝ているときも起きている感覚があるときがある。
起きているときも、寝ているときも実は、同じなんだと思う。

横になり、見た目には寝ているが私の意識は起きている。
このとき私は、意識の中で起きている状態のときと同じである。
自由に意識で考え、動いている。
これは、特別なことではないと感じている。


「睡眠」は大切、「睡眠」をちゃんととっていないと、日常生活に支障をきたす。
これって、ホントなのでしょうか。

「長い睡眠」を取りすぎて、かえってつかれてしまうこともある。
「短い睡眠」でも、十分足りていることもある。

よく言う、量より質なんだと思う。
これも、一人一人違うので一概に枠にはめることはできない。

私は、私の睡眠がある。

人と違うことで「自分がおかしいのではないか」
「それはおかしい」と人がどう言おうと、私は私の眠り方があるのだな。






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テーマ : 出来事
ジャンル : 学校・教育

tag : 睡眠障害 寝る 意識

(じぶんのこと。

「自分のことじゃないから、わからない」
「自分のことじゃないから、しらない」

こうやって、言っときながら、自分以外のことに口だし、手出ししていることが多い。

都合よく、自分と自分以外を分けている。

自分が損したり、害が及びそうになると、自分以外のことに分かりも、知りもしないのに
「あ~でもない、こうでもない・・・」

「あんたは、私の何が分かるん、知ってるん」

と言ってる、私も同じことやっていた。

「やっていた」って、もうやってないわけではないな。
まだまだ、やり続けている。

小さいころからの、思いグセは、そう簡単には抜け切れないな。
クセぇにおいは、染み着いていてなかなか、しぶといんだな。

「自分のことさえ、わかんない、やれない、しらないのに、大きな口たたくな」ってことだな。

「人のふりみて、わがふりなおせ」
「自分のしりは、自分でふけ」

「自分のことをいっつも、見ている、言っている」ってこと。

自分以外のことなんて、言ってないし、見ていない。

それを巧妙に誤魔化している。

誤魔化す、隠すということは、「自分でやっている、言ってることがわかっている」って暴露しているのと、同じことやん。

自分以外のことなんて、ない。

すべて自分のこと。

誰にも責任転嫁はできない。

自分の視方(味方)しかない。

自分次第だということだな。





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テーマ : 出来事
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tag : 自分 味方 視方

(まよいみち。

「現在、過去、未来
あの人にあったなら・・・・・迷い道、くねくね~」

昔、こんな歌が流行ったな。

過去、現在、未来じゃあないんだな。

現在、今が、もとなんだ。

そう、今があるだけ。

今があるから、過去も未来もあるんだな。

なのに、過去にこだわり、未来に不安や心配を創っている。

今、現在に生きれてないのに、過去の経験、体験は使えない。

今、現在に生きていないのに、未来のことなんて、いくら思っても、考えても、何も出てくるわけがない。先の不安や心配ばかり出てくるのは、当たり前(田のクラッカー・・・)。

いったい、何やってんだか。。。

今、現在この瞬間を生きることだけに、エネルギーを使う。
自分のエネルギーを分散させていると、今に力が出せない。

試験勉強をしていたときに、過去問をやりながら、出る問題を予想してやっていると、きりがなかったな。やればやるほど、不安や心配が増えていっていた覚えがある。

今、このときに100パーセント、自分の意識を集中させることが、一番なんだ。

過去に引きずり戻され、未来を恐れていては、何も始まらない。

今があるだけ。

迷ったって、いいじゃないか。
自分で迷っているってわかっているんだから、自分の道は、分かっている。

くねくねしている、まよいみちでも、まっすぐ一本道、未知、満ちにつながっている。

迷い道は、自分にとっての

「ま~よい、みちだ」と教えてくれている。






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tag : 迷い道 現在 過去 未来 試験勉強

(ふぃーりんぐ。

うちの長男と次男は、よくけんかをします。
18歳と14歳、エネルギーがあまっているようだ。

男どうしなので、殴り合いになることもある。
年の差なのか、いつも次男の方がやられて、私に言うでもなく、なんとなく助けを求めてきていると思っていた。

次男が私に、「助けて」と言ってきているわけではないのに、私の方で勝手に「なんとかしてやらなくちゃ」って思っているだけなんだな。

以前の私は、二人のけんかの仲裁に入っていた、いや仲裁というより、一方的に長男が悪いと決め付けて、長男をしかっていた。
どちらも、納得しないまま、収束させていただけ。

わたしは、表向き「次男がかわいそう、暴力はよくない、長男だからといって、次男に言うことを聞かすような横暴なことは許せない・・」と言ってはいるが、私が長男にやってることは、今まさに長男が次男にやってることと同じことだったのだ。

長男や次男のためにやってることでも、なんでもなく、私が我慢できない、今この私の前で繰り広げられているけんかをやめさせ、私が早く楽になりたかったのだ。
なんで、けんかをしているかなんて関係ない。
目の前のけんかの形をやめさせればそれでよかっただけ。

私が入ることによっていつもますますけんかが大きくなっていた。
これは、いつも繰り返されていた。
私が入らなければ、その日のうち、いや次の瞬間には終わっていたけんかが、長引くことになる。
長男も次男も私も、いやな感覚、フィーリングを持ったまま、しばらく過ごすことになっていた。



時が過ぎ、その感覚、意識、フィーリングは薄れて、形では前と同じに戻ったかのように見えるが、その感覚、意識、フィーリングがなくなったわけではないのです。
火種は、ずっと燃え続けている状態だ。

抑えているだけ、抑えている分、次に燃え上がると前よりも、大きくなるのだ。
たくわえられたエネルギーは、威力をますことになる。

初期にちゃんと消火(消化)しとかないとあかん。

長男と次男のけんかではあるが、これを見ている私は、私のしていること、言ってることの確認の出来事なのだ。

一つのことが、それぞれの教材になっている。
長男は、長男でなぜ次男をやっつけよう、自分の思いどおりにさせようとしているのか。
これは、長男がこれから考えること。次男のことは、次男がかんがえること。

私は、それを待つだけだ。


長男と次男のけんかは、今でも時々勃発している。
形は、前と変わりないが、私の感覚、意識、フィーリングが違うから私の受け止め方が変わった。

私のところに今でも逃げ込んでくる次男を私は、彼が落ち着くまでいつまでも待っている。
彼から何かを言うまで何も言わない。

昨日は、そんな彼から「負けたない、悔しい」という言葉が出たので、「何に?」と聞いてみた。
彼は、いつも長男にやられている自分が負けている、やられていると思って、なんとかそれを跳ね返そうと必死だったようだ。

私は、「あんた、負けてないし。やられてやってるんやろ」と言った。
私は、彼を見ていてそう思ったから。

「で、負けているとしても、何かあんたに影響あんの。なんも困らんやろ。目にみえる形の力では、長男の方が強いかもしれんけど、じっといつもそれを受けてやってるあんたの方が、強いんちゃうか」
「殴られたり、いやなことを言ってきたら、その場におらんでいいし、いややから避ける、逃げるいうんと違うで、形は同じやけど、自分の意識、感覚、フィーリングが違ったら、逃げる、避けるもありやで」

「それで、あんたが負けたと思わんかったらいいだけのことやわ」
「まあ、勝った、負けてなんて、最初からないんやで」

次男は「そうか」と言って、長男のいる自分の部屋に戻っていった。

中からは、二人でゲームをする、機械音だけがしていた。





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テーマ : 子育て・教育
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tag : けんか 仲裁 次男 長男

(しなりお。

今回のNHK大河ドラマ「天地人」を見ている。
話題となった「与六」(家臣)役の男の子がいた。
「わしは、こんなとこ、きとうはなかった」という台詞が、今年の流行語大賞だ・・・なんていう声にもあがるほどだ。

私は、「喜平次」(主人)が「与六」に言った、「わしは、おまえが来てくれてうれしかった。わしのそばにずっといてくれ」とやっとの思いで言った台詞のほうが好きだな・・・。


私は、この男の子の演技力はすごいとは思うが、何よりも素直な正直な気持ちを「君主」に向かって言っていることがいい。

損得を考えて、本当の自分の気持ちを言うことを避けていることが多い時代に、小さいながらも自分の気持ちをちゃんと言えることがすごいことだ。
また、それを受け止めることのできる「君主」もあっぱれだと思う。

このドラマでは、家臣である「兼続」は、いつも自分の気持ちに素直、正直だ。
自分の思ったまま、感じたままを、だれかれ関係なくぶつけていく。
また、これをすべて、受け入れれる「主人」の懐が大きいな。

これは、ドラマで実際のところはわからないが、これを見て、少なからず感動を覚えるのであれば、自分にもこういう心があるのではないかと思う。

自分の素直、正直な気持ちをいつでもどんなときも、表現できる。
泣きたいときに泣き、自分の信じる道を突き進む。
本当は、いつでも皆、自由に自分を表現したいのだ。

「・・・でも。・・・だって。そんなことしたら、やってはいけない」
「それは、理想だ、夢だ」
「これは、ドラマだからできることなんだ・・・」

ならば、自分で自分のドラマを創ればいいのだ。

それができるのは、自分の人生ドラマなんだ。
このドラマのシナリオのように、自分の人生もまた、自分でシナリオを創れる。
いや、自分の人生のシナリオは自分しか創れない。

監督、脚本、配役・・・すべて自分が決めることができる、ドラマなんだと思うな。

その時、その時で自分の役まわりも変わることができる。
自分がすべて創れるのだ。

今は、自分の人生のシナリオを創らずに、人の人生のシナリオに口を挟むことが多すぎる。
それは、家族であっても同じ。
誰も人の人生ドラマにとやかく言うことはできない。

それぞれに、出演は出来たとしても、決めるのは監督である本人でしかない。

そして、すべての責任は、監督である本人にあるのが当たり前だ。


実は、もうすでに自分で自分のシナリオどおりに、進んでいるのだ。
後は、自分の思うように書き換えていけばいいだけ。

何度でも書き換え、配役変更は、自由。
どんな役でも、変幻自在だ。

「自分ですべてできる」ということだな。





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テーマ : 出来事
ジャンル : 学校・教育

tag : 天地人 与六 兼継 NHK大河ドラマ シナリオ 監督 脚本 変幻自在

(ものさし。

私は、生まれたときは未熟児だったらしい・・・。。
「・・・らしい」としか言えないのは、私の生まれたときのことを知る人が、今いないから。
母子手帳というものもないし、お母ちゃんが生きていたころに、そう聞いた記憶があるだけだから・・・。
それも、本当のところはわからないが・・・。

私は、未熟児で生まれたにもかかわらず、私が覚えている私は、いつも大きい。
写真で写っている私は、丸々太っている。
小学校に上がったときも、周りの子よりも頭一つ大きい。
今の南海キャンディーズの「しずちゃん」みたいな感じだった。

小学校卒業時には、身長が162㎝、体重50㎏あった。
今は、そんな小学生はいるが、当時(昭和47年)には、飛びぬけて大きかったのを覚えている。
子ども用の私に合う服が市販されていなかったので、もう一人の叔母がいつも作ってくれていた。

このままいくと、「どんだけ~、大女になるのか・・・」と懼れ(おそれ)られていたが、何のことは無い、そこからは、身長はとまった。
が・・・・体重だけは増え続け、最高は80㎏近くまでいったこともあったが、今は何とか小太りおばさんに落ち着いているかな・・・。

そんな感じで、身体でいつも目立っていた。

周りの人の反応は、「おっきいな」「しっかりしとるな」「おおらかやな」「何も悩みないやろ」「少々のことは気にせえへんやろ」など、いっつもこんな感じ。

人の勝手な思い込み、ものさしで、「私」というものがはかられていた。

私は、周りの同年代の子らに比べると大きかったことは確かだが、だからといって「しっかりしていたわけでもなく、おおらかでもないし、悩みもあったし、気にしいでもあった・・・」

「勝手に決めんといて」っと思っていた。

が・・・。
私も、人を自分の勝手な思い込み、ものさしではかっていることがたくさんあった。
私の見た、聞いたその人は、ほんの一部でしかないのに、それを「あの人はこういう人だ」と勝手に決めている。

私はわたしの「ものさし」ではかっていたのだ。

一人一人が「ものさし」を持っている。
それは、違っていて当たり前だ。
親と子であっても違うのだ。

自分の「ものさし」ではかったものを押し付けることはできないし、押し付けられることもない。

誰がどんな「ものさし」で自分をはかったとしても、自分が違うと思えばいいだけだ。
誰がなんと言っても、自分が変わるわけではない。
どんなふうに、はかられたとしても「自分がどうか」だけのことなんだな。


からだの大きい私を見て、「しっかりしている、おおらかだ」と思って、
それが違うことだったと気がついたときに「からだが大きいだけやん、うどの大木やな」とはき捨てるように言ったとしても、それはその人が勝手に私をはかって、はかり間違いをしていただけのこと。
その人のことだ。
私には、一切関係ない。
それによって、自分が傷つくこともないのだ。


「私をあなたのものさしではからんといて、決め付けんといて」という前に
自分がその「ものさし」に振り回されなければいいだけなのだ。

だから、誰がどんな「ものさし」で私をはかっても

私は「はかられない」「はからない」だけだな。






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テーマ : 生涯教育
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tag : 未熟児 しずちゃん 母子手帳 ものさし チャンバラ どんだけ~ 南海キャンディーズ

(ひょうろん。

私は、コーヒーが好きだ。
いつもコーヒーを飲んでいる。

お茶がわりに飲んでいるが、コーヒー一杯につかれが吹き飛ぶほどの効果もある。
たかがコーヒー、されどコーヒーで、その時その場で、色んなコーヒーがあるのだ。


自分で豆を購入して挽いて、一杯ずつ立てていたこともあったが今は、インスタントのコーヒーだ。
インスタントに変えた最初のころは、「おいしくないな、やっぱり挽き立てのほうがいいな」と感じていたが、今は「インスタントで十分おいしい」と感じている。

よく「舌がなれた」と言うけれど、私はそれだけじゃあない気がする。

挽き立てを飲んでいたとき「本当においしい」と思って飲んでいたのか・・・・。

「挽き立てはおいしいはず、どこどこのメーカーのやからおいしい・・・」とか、勝手に思いこんでいたところがあったように思う。

私は、コーヒーを味わうというよりも、メーカーの名前を味わっていただけかもしれない。

それに、気づいてから、インスタントのコーヒーの味が変わってきた。
インスタントでありながら、毎日、毎回、味が違うのだ。
一回として同じ味はない。
それが私の変化をいつも表してくれているんだ。


そして今、インスタントのほんと安いコーヒーを飲んで、私は大満足している。

値段とか、どこどこのブランドだとかじゃあなくて、自分が満足することが一番だ。

私の飲んでいるコーヒーは、何処かの会社が作ったものだが、私が選び、購入し、私がお湯を沸かし、私が創っているコーヒー。
「唯一、私ブランドのコーヒー」なんだ。


「おいしい、おいしくない」の判断、評論は、一人一人違うはず。

条件や状態など、すべて同じではないのだから。

けれど「これはどうだ、こうだ」と言いたがるし、それを聞きたがる。

「私がどうなんだ」をどこかに、置いといて、誰かの評価や評論を聞いて判断している。


「私が、どうなんだ。私は、こう思うしかない」

ひょうろんは、必要ないな。

「自分がどうか」だけだなんだ。






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テーマ : 生涯教育
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tag : コーヒー 評論 インスタント ブランド メーカー

(しんじる。

我が家の娘が今、帰ってきた。

朝帰り。。。

私の今までの感覚、常識ではありえない、未曾有の出来事だったんだけど・・・。

今は、少し違う。

若い娘が、朝帰りなんて「何やってねん、何処行ってるんや」って思うし、親としては、してほしくない行為である。

けれど、彼女は行き先を言っていくし(バイト先の友達のところ)、「夜中に帰るよりも帰りやすい」と言っている。

つまりは、友達のところに遊びに行って泊まっただけ、その帰りが朝になっただけ、昼に帰ってもいいのだけれど、その友達が学校にいくので、朝に帰ってきているだけのことなのだ。

だが、これが本当かどうかは私には、わからない。
彼女がそう言っているだけだから。

疑うこともできる。

けれど、私は信じるほうを選んでいる。

私は、彼女を信じているのではない。

私は、「彼女を信じる」って決めた、自分を信じているだけ。

自分のことだ。

だから、裏切られるということもない。

私が信じると決めたことだから。

結果が違ったとしても、それは彼女が裏切ったわけではない。

私が信じることを選らんだのだから、私の責任だ。

「信じない」という選択も私には、できたことだから。

すべてのことが同じ。

信じるか信じないかは、いつも自分に任されている。

どちらかを選択したのが自分であるのだから、裏切られたは、存在しないことなんだな。

「責任は、いつも自分にすべてある」ということなんだ。

これを私は、自分の行動によって子どもに伝えて生きたい。






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tag : 朝帰り 信じる

(うらない。

私は今も暖かい日には、京都の街頭に出て「聞く屋」を続けています。

「聞く屋」については、こちらのブログをご覧くださいな。  
「てんごはばかりさん」

ようけの人が、「聞く屋」の看板を横目にしながら通りすぎていきます。

声をかけてくる人もだんだん増えてきました。
「何やってんの?」
「何聞くん?」
「聞いてもろたら、なんぼ何?」
素直に思ったことを声にしてくれる人が、日ごとに増えています。

まずは、何でも声に出してみることやな。

その中で
    「占いは、してくれへんの?」
    「手相は、みてくれへんの?」
    「な~んや、話聞くだけかいや」
                    と言う人が時々います。

詳しく聞くと、「占いや手相」で見てもろて、自分の今の状態を分かりたい、今悩んでいることや心配事を解決したいと思っている。

私は、「占いや手相」でみてもろたことを信じれる、それが答えやってわかるいうことは
「最初から自分で答え持っているんちゃうんかな」って思うんだな。

簡単に言えば、自分が日本人かアメリカ人かを占ってもらって、「日本人」と言われて、納得、信じるのと同じこと。

自分の持ってる答えの後押しのために「占いや手相」を都合よく利用しているだけなんだな。

だから、「占いや手相」でみなくても、自分の今思っていることを自分でちゃんと「聞けば・・・」
自分で答えを出せることなんだ。

自分で自分の声を「聴く」ことが大切なんだな。

その場として、これからも「聞く屋」は、あなたをお待ちしています。

自分の声を出してくださいな。






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tag : 聞く屋 てんごはばかりさん アメリカ 日本 占い 手相 京都

(ものごころ。

子どもが大きくなってくると、よく「ものごころついたころ」というのを使う。

この「ものごころつく」っていったい、どんなこと?

私の感じとしては、「子どもが少し分かってきたころ、自分と他の区別をするようになったころ・・・」だったが・・・。。


「物心」つく、もののココロがついてくる。

今まで、自分というのと他というのを分けていなかったことが、このころになると、分かってくること。

他との区別をさせて、比較するこころをつけさせていく。

今まで自分の世界で素直に正直にやっていることを、自分以外に意識を向けさせていっている。

それと同時にモノに対する執着も生まれるんだな。

「モノがほしくなる心」

モノに対する執着、「もっと、もっと、もっと・・・」というのが、ついてくるんじゃないかと思うのだ。

それによって、競争する心というがついていく。

「ものごごろ」つく、つけることないな。







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テーマ : 出来事
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(いろいろ。

「最近どんな感じ?」と聞かれたら、「まあ、いろいろあってね。まあ、なんとかやってるから」

「ほう、それは、まあよかったね」って?「まあ、まあ、まあ・・・」って?

何がいったい、「まあ」なの?
何がいったい、「よかった」ん・・?

これでお互い何が分かったの?

「いま何時~・・そうね、大体ね~・・・?」(昔の歌であったな。。。)


こんな感じで会話が成り立っている。

聞くほうも、聞かれるほうも、どうでもいいことを話してるってことかな。

挨拶代わりに聞いているだけ、私もそうだったな。

だからお互い、何年付き合っても最初に会ったときのままでいる。

相手のことを知ろうとしないから、自分のことも相手がわかるはずは無い。

何も自分の情報を出さないで、相手の情報を知ろうなんて虫のいい話だな。

これは、スパイ行為と同じ、何か企んでいるのか。

自分の弱み、本性を出さずにアレコレ詮索する、この世はスパイ大作戦か~。
だから、不安や心配がつきないのだ。

自分がしていることが分かっているから、相手の手のうちもわかるんだな。
おちおち、話してなんていられないか。


「いろいろ」には「いろいろ」ある。
どんな「いろ」なのか、自分が情報を出さないと誰も自分の観ている「いろ」を分かりはしない。

本当に自分の観ている「いろ」を正直、素直に伝えることが自分にできる作戦なんだな。


「いろいろ、いろいろ」いっぱい放せば、少しずつ軽くなる。

「いろいろ、いろいろ」持ち続けてると、沈没してしまうな。

「いろいろ」混ざり合って、真っ黒、黒巣家だ~。



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tag : スパイ そうね、大体ね 真っ黒黒巣家 家族 子ども

(しゅんかん。

「こっちの方が、色々ついてるから、得やで」
「もう少し待ったら、もっといいのが出てくるで」
「今しなくても、後でやったらいいことやろ」

・・・・などなど。。。

子どもに私がよく言ってたこと。

でも、子どもは、全く聞かなかったな。

子どもは「今、これが欲しいのだ」
子どもは「今、これがしたいのだ」

私の言っているのは、子どものことはお構いなしの「私の都合」だ。
子どものことを考えて言っているのではない。

だから、子どもはそんな私の心を見透かして、「がん」として私の言うことなど聞かない。
これこそ、当たり前だ。

今、こうしたい自分の正直な素直な気持ちを子どもは貫いているだけなのだ。

それは、今この瞬間のこと。

後はどうなるかは、またその時考えればいいことなのだ。

子どものころは、損得、善悪、苦楽なんて関係なかった。

今今今、この瞬間があるだけだったな。

そのころがよかったと少しでも思うなら、自分でそのころに戻ってみることだと私は思う。

子どもは、わがまま、自分勝手、後先考えない、待ったなし・・・・いっぱい、いっぱい子どもを形容する言葉がある。

これは、すべて当たり前なことやん。

「わがまま」・・・自分の思うままにせずに、誰の思うままにするというのか。
「自分勝手」・・・自分が勝手にせずに、誰の勝手をすればいいのだ。
「後先考えてない」・・・後と先考えていたら、前に進まれへんで。
「待ったなし」・・・いつまで待っていたらいいのやら。

これは、自分だけではない。

すべての人が同じにできること。
だから、一切、誰にも文句は言えない。

選んだ責任は、すべて自分にあるということだ。

また、選びなおしも自分に任されているのだ。

親である私は、こうもよく子どもに言っていた。
「だから、言ったじゃないの、お母さんの言うこと聞かないから、失敗したんや」

う~ん、何と言うことを言っていたのか・・・。。。

こんなことを言われ続けたら、私のような大人になっていくのが当然だな。

それを大人になる、分別がつくようになるといっている。

分別付けすぎて、何がなんだかわからんようになっている。



わかるのは、今この瞬間の自分のことだけだ。
それを見ずに、何ができるというのか。

そして、それは生まれながらに持っていること。

だから、子どもにできるんだな。






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tag : 瞬間 わがまま 自分勝手 待ったなし 後先考えない

(けが。

3人の子どもは、小さいころ何度か「けが」をしている。

擦り傷程度は、日常茶飯事だが、病院にお世話になることもしばしばあった。

長男は、1才過ぎのころに、左手首の大やけど。眼の下、小指の切り傷は傷口がしまらないので、何針か縫う。
長女は、学校の柱に激突し額がたてにパカッと割れてしまい、縫う。
次男は、玄関で転んで額をよこに切り、縫う。砂場で転んで、顔面を打ち鼻の骨は折れなかったものの、顔面が腫れて後、顔面はしばらく紫色に変色していた。


子どものころの「けがや病気」はどこの家でも経験があることだろう。

当時の私は、子どもがけがをした「えらいことだ・・・」
私は、必死で「なんとかけがを治さなくては・・・」ということにばかりに、眼をやっていた。
その時は、考えても見なかったのですが、今当時のことを思い出してみると、起こるべくして起こっていることに思える。

まあ、どれも「大きなけが」と言えるものではなかったので、当時の私は、「大きなけがにならなくてよかった、大難がまぬがれたのだ」と勝手に解釈していたのだ。


もともと、大きなけがだろうと、小さなけがだろうと「けが」というのが起こること自体、おかしなことだったのだ。
「大難も小難」もない、「けが」という出来事が何で起こっているのかである。

普通にやっていれば「けが」をすることは、ないのだ。

では、なぜ今ここで「けが」をしているのか・・・である。

子どもの不注意、子どもには「けがや病気」はつきもの、それを一つずつ経験して体験して強くなるのだ・・・と手前勝手に思っていた。

確かに、そう子どもの体験のため、経験のために起こっていることもあるだろうが、私の場合は違うな。
これは、私が知っている、分かっていることだ。

少なくとも、子どもが「けがや病気」をしたときには、私がおかしいことを自分でやっていることに、うすうす、いや、はっきりわかっていたときだった。

自分を誤魔化し、世間に合わせたり、自分が苦しいのを家族の責任にしてたり・・・と自分でおかしいことをしているときに、必ずといっていいほど、コトは起こっていた。

最初で気づけばいいのだけれど、コトが起こっても尚且つ、また同じことを繰り返していたもんだから、何度も何度、同じようなことが起こっていたんだな。

恐れているもの、避けたものは何度でも、自分戻ってくる。

その時は、軽く自分を見つめるんだけれども、「のど元過ぎれば、忘れて」しまっている。

自分の「けがや病気」も同じだ。


起こった出来事を「悪いこと、いいこと」と意味付けして、恐れたり、避けたりせずにすべて受け入れる。

自分に見えるのものは、自分に観たいようにしか視ていない。
その視点を変えることが、すべての出来事には必要なんだと思う。



「けが」・・・「怪我」

我が怪しいんだな・・・自分を視るチャンスなんだ。








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tag : けが 怪我 長男 次男 長女 日常茶飯事 大難小難

(ほどく。

糸や鎖がもつれている。

さあ、どうする~。

どこから、もつれているのかを捜し、もとのもとからほどいていく。


どこから、もつれているかも捜さずに、適当なところからほどいたところで、もとのもとがもつれたままでは、またそこから、もつれていくことになるからな。

「いや」そんなの邪魔くさい、いっそひとおもいに、きってしまえばいい。

そんなことしたら、もともこもなくなる~。。。

これっって、ホンマなん。


元気のもと。

基地のもと。

上下のもと。

素直のもと。

本気のもと。

許可のもと。


すべては、自分が思うこと。


自分の元気は、自分がなればいいんや。

自分の基地は、自分が一番安心できるところや。

自分の上下は、自分が決めればいいんや。

自分の素直は、自分のままでいいんや。

自分の本気は、自分がなればいいんや。

自分の許可は、自分が出せばいいんや。


糸がある、鎖があると思っているから、もつれていると思っているんやな。

糸も鎖も最初からないんやな。

自分が糸、鎖になっているだけや。



いと~も、簡単な話やな・・・くさ~ァ。。。

ほどくこたァない、ほっとけ~。

自分がほどくことが、ほっとけ~(仏)か・・・???





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Dプロフィール

 林 一美

Author: 林 一美
 昭和35年4月生 東京都出身
 大阪育ち 京都在住

幼稚園、小学校講師、塾経営をやってきました。
なにをしても、どこにいても、私の世界は、私の世界。

おかしいと思ったことは、おかしい。
変なことは、変や。

誰が何と言おうと、私は私のみちをいきる。
それが私にできる。ただひとつのことや。

実は誰も何も言っていない。
すべては、私が言ってることやんか。

私はあんた、あんたは私。

さかさま。おしゃかさま。
かみもほとけも。みな、おんなじ。

まっさかさまの、だいどんでんがえし。

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