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(なる。

成せばなる。。。ほんまかいな。
成さねばならぬと思うことがどうにも成らんようにしとるな、何事も。
成さねば、なんとかなる。何も成さぬことがなんとかなる。
なせるワザ。
極意。
鳴るように鳴る。
なんとかなる。
どんなことがあっても。
鳴らんもんは、生らん。
なんとかしたいなら、なんともしない。

なるまで待つ。
なるを待つ。

これがなかなかできへんのやな。


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(「聞く屋」

 街で「聞く屋」をやっていると
 聞かれることの一つに
 「これって、何かの宗教?」「宗教の勧誘?」

 皆さん、路上でこんなことをやっているのは、
 何かの宗教団体で
 話を聞いた後に
 宗教を勧められるのではないかと
 思っているようです。

 「聞く屋」は、
 今の皆さんが思っている既存の宗教とは
 関係ありません。
 何か特定の宗教団体ではありません。
 宗教の勧誘は、やってません。

 では、「宗教って、一体なんですか」

 京都は、お寺や神社があり
 宗教がたくさん集まっています。
 各家庭には
 ご先祖からの宗教、宗派があります。
 何かの宗教団体をさして
 「宗教」だと思っているようですが・・・。


私は、一人一人の思い、感じ方そのものが自分の「宗教」だと思います。
出来事に対して、自分がどういう風に思い、感じるか。
「宗教」とは、一人一人違っていて、当然のものだと思います。
 人の数だけ宗教はある。

  自分の信じているもの、感じているものすべてが
  自分の宗教になっているのだと思います。


「聞く屋」って、

何も、利益があるわけではないのに、人の話を聞いているなんて怪しいぞ、胡散臭いなあ。

いえいえ、無料でもいいし、あなたのお気持ち次第で御代は頂戴いたします。

ただ、ボランティアでやっていることでは、ありません。

自分に気づく、代(自分)直しの場なのです。


「聞く屋」は、あなたが話したいように放せる場であり、聞きたいように効ける場なのです。
お互いワタシ、アイ(私、I)なのです。
対面した相手は、自分なのです。


自分の話したことで、自分が放される。
聞くことで、自分に利くことができる。

あなたと「聞く屋」は、お互い「ギブ、ギブ」の関係なのです。

その場を提供したということで、あなたのお気持ちを御代として頂いています。






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テーマ : 教育
ジャンル : 学校・教育

tag : 聞く屋

(うそ、ほんと。

何か信じられないことが起こったとき、聞いたときに言う言葉。

「えっ、うそ」
「信じられへん」
「ありえへん」

まず、否定する。
受け入れることをしない。

「そうかもしれんな」
「そういうこともあるかも」
「ありえるかもしれんな」

肯定すると自分が今まで信じてきたもんが壊れるから。
自分の常識では、起きるはずがないと決めているから。

でも、世の中何が起こるかわからないと思っている。
何が起こってもおかしくない。

だから、備え、災いを防げるように準備する。
何が起こるかわからんことに、備える、防御する。

う~ん?
いったい、何を備え、防いでいるのかな。

「それこそ、うそ~やわ」
何も備えられへんやろ。
用意もできひんでな。

「うそ~こわ~」
「ほんとや」

起こった事実にうそなんてあらへんな。

皆、ほんとのことや。

いつまでも、ほんとのことを見んふりして、否定していたって何もほんとのことは、見えてこん。
怖いからって、眼をつぶっていては、何も見えへんいうことやな。

ありえないことは、最初からあれへんから。
すべて、そういうこともあるかもしれんいうことやな。

色んな見方ができるいうことやわ。

うそ、うそ、うそ。。。。

そう、そう、そういうことなんや。。。

逆さまになってるんやな、世の中・・・。




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テーマ : 教育って何だ?
ジャンル : 学校・教育

tag : うそ ほんと

(いがく。

先日の風邪を引き受けたときもそうだったが、私は産まれてからお医者さんに行ったり、薬を飲んだりすることがあまり好きではなかった。
好きではないというより、医者と薬とは縁がなかったのだ。

私は、6歳まで戸籍がなかったので、産院から出てからは、保険なるものがなかった。
貧しい私の家では、医者には容易にかかれなかったから。
母は、私が熱を出したり、痛みがあるときは、いつも傍にいて、見守ってくれていた。
母が手を握っていてくれるだけで安らいだことを覚えている。
医者にも行かず、薬も飲まずに治っていた。
予防接種なども受けなかった。
何も困らなかった。

今もそれは同じだ。
医者にも行かないし、薬も飲まない。
病を引き受けたときは、ただひたすら、ジッとしている。
熱が出ても、痛みがあっても耐えることが、今の私にできる治癒方法だと思っていた。
それを他人は「我慢強い」といっていたが、私にとって一番早く治す方法だということがわかっていた。
けれど、そんな私でも、あまりの熱や痛みに不安、心配になり医者や薬に頼ったこともあるが、それをすると、かえって長引く経験を幾度もしてきた。
治りはするが、後がしんどい。
それを、私からすると薬の後遺症なのだ。
そして、再び同じ熱や痛みに襲われることになる。
無理ヤリ治したことには、無理があり、歪がくるのだ。
これは、当たり前、自然の摂理だ。

私の3人の子どももほとんど病院には行っていない。
最初の子の時は、不安もあり何度か救急で病院に駆け込んだこともあるが、病院の対処が通り一遍の診断であったこともあり、次第に病院には頼らなくなった。
私は、病院に行ったとしても、貰った薬をすべて飲ませることはしなかった。
私は、私がいつも子どもを見守って、様子を見ながら、その都度対処をしてきた。
それは、私が子どものことを一番知っている、分かっているから。
その能力をみな持っている。
子どもの状態を見極めることができる。

世間の親もそうだと思う。
産まれてからずっと見守ってきている、自分の子どものことを一番わかっている、知っているのは、いつも身近にいる母親や父親だと思うのだ。
子どもの異変に一番敏感なのだ。
何が子どもに起こっているのかは、医学の知識がなくても十分わかるのだ。
けれど、その感覚をどこかに置いて、医学や薬に頼り、自分で治す力を弱らせている気がする。
自分で治せる病もある、自然治癒力を持ち合わせているのだ。

これを、今忘れている。
医者や薬を重視している。
一人、一人それぞれが違う。
何人かの子どもがいる人はよくわかると思うが、同じ風邪だと思ってもその症状は違うし、対処の仕方も違うのだ。
それを通り一辺倒に同じ薬では治らない。
色んなやり方、選択があっていいと思う。

だからといって、医学や薬が必要ないと言っているのではない。

それぞれに、一番いい方法がある。
それは、ひとり一人違うのだ。
それを今一度考えてみたらどうか。

病気だと思われる症状がでたら、医者に行く。
これを当たり前、そうしないといけないと思い込んでいないだろうか。
医者に行けば治る、薬を飲めば治るとは限らない。
もしかしたら、医者に行かなくても、薬をのまなくても治っているかもしれない。
「病気イコール医者イコール薬を飲む」という選択をし続ける限り、どっちがいいのかわからない。
どちらの選択があってもいいのではないか。

昔から「病は、気から」という。
「気」と言うのは、「想い」である。
自分の「想い」も然り、他人の「想い」も然りである。

すべて「想い」によって「病」は引き起こされている。
「想い」は、医学でも薬でも治ることはない。
それを無理ヤリ治したとしても、完治はない。
だから、病が次々と引き起こされていくのだ。
「病」は、続くことになる。

「医学や薬が絶対的なものではないこと」を、私は私の体験から言えるのだ。






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テーマ : 生涯教育
ジャンル : 学校・教育

tag : 医者 医学

(おもい、しかない。

想いは、形になる。

形が、想いではない。

想いしかない。

想いがあるから、見える形ととしてあるだけ。

想いしかない、この世の中。

よく、とりあえず形から入ってみました、とか。
形にして想いを表してみた、とか。

言っているけど、想いしかないのだから当たり前だ。

形があって、想いが出てくるのではない。

想い=イメージ。

自分にイメージがあるから、形になったこと。

形から入るなんて、ないのだ。

想い、イメージが最初にある。

すべては、想いでできている。

その想いが分からなくなっている。
いや、自分の想いを誤魔化して生きている。

自分に出てきている想いを誤魔化し、誰かの想いを自分の想いだと思い込み、誰かが創った想いを自分に入れて、先入観としてインプット。

自分の想いなんだか、誰の想いなんだかわかりゃあしないようになっている。

想いは、形になっていなくても、通じている。
形は、目に見える形として現れているだだけのこと。

想ったその瞬間に、すべて形になっている。
形に見えるのは、ほんの一部のこと。
見えない想いもすべて、現れているのだ。

想いは、誤魔化しなどできない。
自分の想いを誤魔化したつもりになっているが、そんなことは不可能だ。

想ったその瞬間に、イメージしたその瞬間に、現れている。
それがわかっているから、知っているから、誤魔化そうとするのだ。

そして、誤魔化そう、隠そうとする想いがまたうまれる。

最初に出た想いを自分が素直に正直に出していかないと、この連鎖からは抜けることはできない。

想いしかない世の中。
自分の想いが、世の中を動かしていることを、想い出すのだ。

想いは、重い。




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テーマ : 教育
ジャンル : 学校・教育

tag : 重い 想い

Dプロフィール

Author: 林 一美
 昭和35年4月生 東京都出身
 大阪育ち 京都在住

幼稚園、小学校講師、塾経営をやってきました。
なにをしても、どこにいても、私の世界は、私の世界。

おかしいと思ったことは、おかしい。
変なことは、変や。

誰が何と言おうと、私は私のみちをいきる。
それが私にできる。ただひとつのことや。

実は誰も何も言っていない。
すべては、私が言ってることやんか。

私はあんた、あんたは私。

さかさま。おしゃかさま。
かみもほとけも。みな、おんなじ。

まっさかさまの、だいどんでんがえし。

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